バーバラ・ローデン監督が生み出した幻の傑作『WANDA /ワンダ』
バーバラ・ローデンの『WANDA /ワンダ』は、まだ“エンパワーメント映画”などという言葉すらなかった1970年に製作され、同年の第31回ヴェネチア国際映画祭で『フェリーニの道化師』と並んでプレミア上映された。最優秀外国映画賞を受賞したものの、アメリカ国内ではほとんど黙殺され、日本でも、長らく「聞いたことはあるが誰も見たことがない映画」に甘んじてきた。
かくいう筆者もこのたびの初公開に合わせて行われた試写で初めて見たのだが、本作の世界的な復権と、劇場公開されることになった背景には、マーティン・スコセッシ設立の映画基金とGUCCIの支援によるプリントの復元作業、そしてイザベル・ユペール、ソフィア・コッポラといった映画人たちの熱烈な支持があったことを知った。
同時代の男性たちに過小評価され、女性批評家たちにも嫌われた理由は?
ローデン演じる主人公ワンダは、目的地もわからずに人との出会いと別れを繰り返し、彷徨いながら生きてきた女性。たまたま知り合って一夜を共にした男が銀行強盗を企て、その手助けをしながら人生を彷徨っていく、という、ある意味で場当たり的に生きている受け身の存在のように見える。
実はその点が、ポーリン・ケイルのような同時代の女性映画批評家たちに嫌われた。もっと積極的な意思をもって自分の人生を切り開いていくヒロイン像のほうがフェミニズムの立場からは支持しやすかったのだろうか。だが、ワンダは「私には主婦業は向いていない」と子供の親権も手放して夫と離婚、自ら放浪の人生を選んでおり、行きずりの男と誰とでも寝る訳ではなく嫌な相手であれば徹底的に拒絶する。つまり、ワンダはただ状況に流されるだけではなく、自己決定権を常に行使しているのだ。
1970年当時にこういったヒロイン像が男性に居心地の悪い思いをさせ、男性観客や圧倒的多数派の男性評論家たちに過小評価された可能性があることはわからないでもない。が、バーバラ・ローデンを擁護して作品を正当に評価しようとする女性批評家やフェミニストが現れなかった理由のひとつは、彼女が映画業界の“権威”そのものである、アカデミー作品賞・監督賞ダブル受賞2回(『紳士協定』1947/『波止場』1954)の巨匠エリア・カザンの妻だったことも関係していそうだ。