片目のダヤンのスピーチ
大澤 たとえば先ほど言ったガザ――究極のケース、イスラエルとパレスチナの問題。これほど悲劇的な問題はなくて、たぶん双方とも、相手がいなくなることを望んでいる状況になっていて、二国家解決という、ルール圏と公共圏的な解決でさえ難しくなっている。
でも、私はこの問題が大きくなってから初めて知ったんですが、イスラエルではけっこう有名な話があるんです。イスラエルで尊敬されている片目のダヤン(*)という軍人の話です。
この人は生粋のシオニストで、軍人でした。第二次世界大戦で片目を失ったので「片目のダヤン」と呼ばれているんです。のちに国防大臣、外務大臣にもなった、有名な政治家でもある。 この片目のダヤンの有名なエピソードがあって、これに私は感動したんです。
1948年にイスラエルが建国されましたが、イスラエル建国から数年たったとき、まさに今、戦争になっているガザ地区のそばに、イスラエルの側のキブツがあった。キブツというのはイスラエル人の共同体ですね。そしてすぐそばのガザには、難民化したパレスチナ人がたくさんいるわけです。
そのパレスチナから、時々キブツに侵入者があるものですから、キブツの人間は見回りに行く。それである朝、ロイという青年が見回りに出て行ったら、その日もパレスチナのほうから侵入者がいて、ロイ青年はひとりで見回りをしていたので、向こうの人に捕まって殺されてしまい、その日の夜にバラバラになった遺体が返されるという無残な出来事があったんです。
翌日、死亡した青年のための追悼集会をやった時に、リーダーだった片目のダヤンが言ったスピーチというのが、非常に感動的なエピソードなんです。これは、英語のウィキペディアで読めます(編集部註:「Moshe Dayan 『Eulogy for Ro’i Rutenberg』として知られる演説)。
「昨日の早朝、ロイは殺された。今日、彼の血の責任を、我々はパレスチナ人たちに求めたくなるが、それをやめようじゃないか。彼の血の責任は我々のほうにある。我々がここに住むようになって、もう8年たっている。パレスチナ人たちは、自分や父祖が住んだ土地が奪われ続けるのを8年間ずっと見てきたんだ。それを考えれば、彼らがいかにつらいか。だから、この血の責任をパレスチナの人に帰してはいけない。我々自身に見なければいけないんだ」
と、こういう演説をしたんです。
僕の言いたいのは、生粋のシオニストであるダヤンが、自分たちのシオニズムの理念の中に、やはり何か矛盾がある、ということに気づいているんですよね。
これは逆に、パレスチナ側にも言えるんです。
今回のガザ戦争は2023年10月から起きました。その1ヵ月ぐらい前に、僕が非常に注目した出来事があった。
パレスチナはガザ地区と、もうひとつの地域、ヨルダン川西岸地区に分かれていますが、その西岸地区のリーダーで、パレスチナ自治政府のアッバース議長という人がいます。そのアッバース議長がある演説をした際、その演説に対して、世界に散っているパレスチナ系の知識人が猛烈な抗議をしたんです。アッバースは公開の場で、ユダヤ人を嘲笑するような話をしたんです。「ユダヤ人というのは、実はトルコ系の住民で、悪者で、彼らがナチスによって虐殺されたのは当たり前だったんだ」というような話を。
すると、ユダヤ人ではなく、パレスチナ系の人たちがこれに猛抗議したんです。ユダヤ人がジェノサイドに遭ったりホロコーストに遭った歴史を歪曲したりすることは、絶対に許されない、と。
つまり、僕が言いたいのは、それぞれの物語の中に、ほころびがある、ということです。
ほころびがあって、そのほころびこそが「普遍性につながる手がかり」になっていくんだと。ほころび同士が、むしろシンクロナイズするんだ、と。
そして、そういうものの媒介として、法というものが機能するようになればいいなというのが僕の考えです。
*モシェ・ダヤン(1915‐81)はイスラエルの軍人、政治家で、ベギン政権では外務大臣を務め、1979年、米カーター大統領仲介のもと、ベギン首相とエジプトのサダト大統領のエジプト・イスラエル平和条約(キャンプ・デーヴィッド合意)を結ぶことに貢献した。
谷口 とても印象的なお話ですね。全然違うように思えるんですけど、ある裁判の話を、今聞いていて思いました。
「わたしの体は母体じゃない」訴訟というのがありまして。母体保護法というのが、女性の不妊手術を禁じているんです。でも、「妊娠する体である」ということにすごく違和感を持っている何人かの女性たちがいて、卵管結索による不妊手術をしたい、と。「それを禁じている母体保護法はおかしいんじゃないか」ということで提訴した事件です。
これはメディアの記者も最初は関心を持ったんですけど、ほぼ取り上げなかった。社に戻ってデスクとか上司から「多くの人たちには理解されないだろう」と却下されたりして、あんまり記事として取り上げられなかったんです。
この訴訟の原告の女性たちは、母体保護法がおかしいと思っているし、何とかして不妊手術を受けたいので提訴するわけですけれども、最初はマスクをして顔を隠していました。
そして4回目か5回目ぐらいに裁判所に行った時に、「実は、ずっとこんな裁判を私が起こしていいのかなと思っていたんです」という話をしてくれたんです。
自分たちが全然マジョリティーじゃないことも分かっているし、「こんなものを一般的なものとして要求していいんだろうか」という懸念を表して。
でも自分たちの違和感が、権利の形でいろんな人に伝わっていく中で、「あなたは憲法13条の下での権利があるんだ」というふうに弁護士たちが提出する書面などで書かれていって、ようやく「こういう訴訟を起こしてもいいのかなあと思うようになりました」というようなことを言うようになってきて。
それで判決の日に、それまでずっとマスクをしていた原告のひとりが、「マスクを取りたい」と言い出したんです。「私はマスクを取って裁判所に向かって歩いていきたい」と。
「いいんですか? ずっとあんな隠していたのに」と尋ねると、彼女は「今朝、高校の同級生が、自分の裁判のフェイスブックに、いいねを押してくれたんです」と言っていたんです。
その同級生はほとんどこの件とは関係がない、「不妊手術を受けたい」というふうにも、おそらく思っていない人なんですけど、その人が、「いいね」を押してくれたんです、ということを2回ぐらい言っていて。それで「私は顔を出して、これを訴えたことを誇りに思いたい」というようなことをおっしゃっていて。
「いいね」が押されるというのはとても小さな承認かもしれません。でも、高校の同級生という関係はあるけど、この問題については違っていると思っていたコミュニティの人からの承認があった、そのことが原告にとってはとても大きな意味があったのではないか、綻び、であり、固有性から普遍性への転換でもあったのではないかという気がします。
そんなふうに、何か違和を感じている小さなコミュニティがあった時に、そのコミュニティの主張が「権利」という全ての人に適用される形をとって裁判所に持ち込まれる、ということをもって、ある種の公共性に転じていくような、そういう瞬間を見ることが、公共訴訟の現場ではたくさんあるんです。














