共存が「絶対不可能」と思えるガザ問題にどう向き合うか

大澤 これは「それ以外にないじゃん」と思えることなんですが、いろいろ考えると、僕らが現代に直面している問題というのは、これしかないそのフォーマットですらも難しい状況になっていると思う。 

たとえばこの方法でガザ――パレスチナとイスラエルの問題を解決できるか。あそこでは、もう双方が相手の殲滅(せんめつ)を本当は望んでいるんですよね。だから、「平和的な共存自体が絶対不可能」というか、お互いが共存できるような枠組みみたいなものが、もう、ない。それくらい深刻な問題を抱えているので、どうすればいいのかと思うんです。 

まず、法というのは、原理的に言えば、基本的にはみんなが同じ法に従っていくので、本当に普遍的なんです。ただ、そうは言っても「グローバルに一つの法がある」というふうにはいけなくて、それぞれの国ごとに法があるんですが、それには、いろんな意味での便宜上の理由がある。実際に地球規模でしか法がなかった場合、「その法を誰がどういう仕方で執行、保障するのか」ということを考えると、やっぱり現在の国民国家のレベルぐらいが限界だ、みたいなものになる。実は、そのレベルでさえ難しいわけですけど。 

だから、プラクティカルに考えると、世界にたくさんの国があって、それぞれの国がそれぞれの法を持って動く。それにまた地球規模で合意するというのは、非常に難しいから、様々な国の中に様々な法があるのは仕方がない。ただ、法自体が持っている潜在的なポテンシャルとしては、「あなただけの法」というものはなくて、基本は、普遍性というものに対してすごく強いオリエンテーションを持っているのが法の特徴だと思うんです。 

それで僕が今、一番思っているのは、「人間にとっての普遍性とはどういうことか」ということなんです。難しいのは、固有の物語にはコミットしやすいんですけど、普遍性というものにはコミットしにくいんですよ。つまり物語性も全然なくなってきて、「みんながそれぞれ生きればいいじゃん」という話には、何の魅力もないんですよね。だけど、それぞれの物語だったら、少しある。 

そうすると、やがて物語同士がケンカし合うんです。その一番深刻なケースとして、ユダヤ人の物語を持っている人たちと、パレスチナの人たちが持っている物語。これが相互に矛盾するみたいなことになってしまっている。 

ではどうすればいいか、ということですけど、これは本当に究極の問いなので、ここで数分話したらできるようなことではないんだけど、僕は「普遍性ってどういうことか」ということについて、もうちょっと考え直すんです。

『銀河鉄道の夜』の神様論争。ガザ問題から不妊手術訴訟まで、分断を超える「普遍性」を考察する_2