村吉への疑惑と覆された“犯人説”
このことから、村吉を犯人視する見方もあったそうだ。
だが、新保橋で見つかった血液は、到底ひとりのものとは思えず、結局は村吉も新保橋上で殺されたものとされた。一家皆殺しを狙った凶悪事件だと警察は判断した。
詳しく事情を調べてみれば、新保村の親戚に病人など出ておらず、使いを頼んだ事実もないことから、加賀家の面々は青毛布の男に謀られたことがわかった。 目撃者の証言によると、
男の年齢は三十歳ぐらいと思われるが、人相については手ぬぐいをほおかむりにしてアゴで結び、その上に青毛布を頭からすっぽりかぶっていたのでハッキリわからない。
ということだった。
三国署は重大事件としてこの事件を扱い、上山署長以下全員が不眠不休で捜査に当たった。
A:加賀村吉に恨みを持っていると思しき者。
B:3人を連れ出した男がかぶっていた青毛布に関わりがある者。
などの情報で捜査の手を広げたが、いずれも有力な手がかりを得るには至らなかった。
村吉は酒も飲まず、実直で真面目な人物で、人から恨みを買っているフシは見当たらなかった。
あえていえば、その真面目さゆえ、30歳の若さで番頭に取り立てられていたことを妬まれたのでは――とその線も洗われたが、結局何も摑めなかった。
捜査は長期化し、歴代の署長がその解決に尽力したが、ついに1921年(大正10年)、事件は時効を迎え迷宮入りとなった。
文/松閣オルタ












