素の語りにある「計算されていない怖さ」

幽霊にもコロナにも負けず30年。稲川淳二の怪談が最近、「怖さを売りにしない」理由_1
「MYSTERY NIGHT TOUR 2022稲川淳二の怪談ナイト」より

――稲川さんが日本全国をめぐる怪談ライブ〝稲川淳二の怪談ナイト〟は今年で30年目を迎えましたが、あらためて稲川さんにとっての怪談の魅力とはなんですか?

私はこれまで50年で500話以上の怪談を語ってきましたが、それでもいまだに田舎のおじいちゃん、おばあちゃんの素の体験や、地域で語り継がれた話にはかなわないと感じることが多いんですよ。

最近は、怪談ブームで若い怪談師がたくさん出ていますが、みなさんどう怖く話すか、どう聞き手を驚かせるかを考えて、ストーリーを構成する。でも、素の語りには計算されていない怖さがある。

語り手が素直に話し、聞き手も素直に受け止める。語り手と聞き手が生み出すライブ感や場の空気が、怪談が持つ本来の魅力なのかなって思うんです。

先日も小学3年生の男の子に手紙をもらったんですよ。手紙にはお父さんが自分に話してくれた怪談話が丁寧に記してあった。実はね、それ、私が話している怪談なの。

――いい話ですね。

お父さんが私の怪談を知って、息子に聞かせてやろうと練習したんでしょうね。お父さんの怪談を聞いた子どもが稲川さんにも教えてやろうと一生懸命に手紙を書いてくれた。あれは、本当にうれしかったなぁ。

もともとは私が語った怪談でも、そんな風にAさんが語れば、Aさんの怪談、Bさんが話せば、Bさんの怪談になる。怪談には、人間のいろんな思いがこもっている。悔しさ、恨み、遂げきれなかった思い、愛する人を残して逝く無念、亡き人を思う切なさ……。

時代や社会が変わっても、決して変わらない普遍的な人の営みや感情の揺らぎがある。語り手によって、感情移入や共感する部分も変わる。怪談について突き詰めて考えてみると、怪談は人の心のなかに存在するものなんじゃないかと思うんだ。