「まるで家族のように助けてくれた日本人女性」

そんな中で出会った一人の日本人女性の存在が、人生を大きく変えた。

「30年ほど前に知り合った女性が、私たちの生活をすごく助けてくれました。上の子どもの幼稚園の送り迎えでよく会う方で、いつも挨拶をしてくれていました。その方はご家族が海外にいた経験があって、『どこの国から来られたんですか』と話しかけてくれたところから、交流が始まりました。それ以来、私と子どもたちのことをすごく気にかけてくれたんです」

交流は次第に深まっていった。

「日本語や日本の文化について教えてくれました。また、下の子の妊娠中は上の子の送り迎えをしてくれたり、私が仕事で手が離せないときはいつでも助けに来てくれました。料理を作って届け合ったこともよく覚えています」

その女性との関係は、単なる“近所付き合い”を超えていく。

「子どもたちにとっては本当のおばあちゃんのような存在でした。私の作ったガンビア料理に対して『すごくおいしいからお店を出した方がいいよ』と言ってくれたことが、お店を出そうと思った大きなきっかけになったんです」

しかし、その女性は4年前に亡くなってしまった。

「亡くなる少し前から入院されていました。ですが、当時はコロナ禍だったこともあって私たちは面会もなかなかできませんでした。亡くなったときは私も子どもたちもすごく悲しみました。

ですが、実は彼女は亡くなる前に、『これをあの子たちに渡してほしい』と、ご家族に“とあるアルバム”を託してくれていたんです。それは出会ってから何年も彼女が撮ってくれた私たち家族の写真でいっぱいのアルバムでした。今も大切にしていて、つらいことがあったらそれを見て頑張ろうと思えるんです」

女性とジャロウさんたちが載ったアルバム(写真/本人提供)
女性とジャロウさんたちが載ったアルバム(写真/本人提供)

もちろんすべての日本人がこの女性のように優しかったわけではなく、来日当初は、日本人からの偏見を感じたこともあった。

「来日したての頃、私の肌の色について『なんでそんなに黒いの?』とか『どこで肌を焼いてきたんですか?』などと心無いことを言われたことがあります。しかし、そのときは自分はガンビア人で、ガンビアがどんな素晴らしい国かを説明しました。そうしたら心無いことを言ってこなくなったんです」