三井グループの輝ける星」からの凋落

東レは、1926年に東洋レーヨンとして設立された、日本を代表する総合素材メーカーです。三井グループの支援を受け、戦前から戦後にかけて日本の衣料品産業を支え、特に高度経済成長期には「ナイロンの東レ」と呼ばれるほどの合繊繊維の売り上げを築きました。

この時期にはナイロンの売り上げがグループ他社の売り上げを上回るなど、東レは「三井グループの輝ける星」として称えられていたのです。しかし、この栄光の座は長くは続きませんでした。

東レの真骨頂は、この繊維産業が斜陽化した後も、「技術の執念」で事業構造を根本から変革し続けた点にあります。1970年代のオイルショックを境に、合成繊維原料の急騰やアジア諸国との国際競争が本格化したことで、日本の繊維産業は一気に不況へ転落しました。

この激変の中で、東レは1965年から1986年までの約20年間、国民総生産(GNP)の成長を下回るという長い停滞期を迎えました。当時の社長が、この停滞を振り返って「経営がなかったからという一言に尽きる」と述べたように、墜落寸前の状態にまで追い詰められていたのです。

「リストラで株価は上がらない」という究極の信念

「リストラで株価は上がらない」東レを救った異端の経営哲学…凋落から世界首位へ復活の全内幕_1
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この危機を打開したのが、1980年代から1990年代にかけて行われた、前田勝之助氏によるトップダウンの強力な経営改革です。

前田社長(当時)はまず、「本業で赤字の会社が多角化に成功するはずがない」という反省から、新事業と研究開発テーマを思い切って絞り込み、「繊維重視」の方針を打ち出しました。
しかし、その経営哲学の根幹にあったのは、「安易なリストラをしない」という強い信念でした。前田氏は後に、「リストラで株価が上がるなんて褒めたたえる風潮が今も残っているが、冗談じゃないよ。人をなんと考えている」と激白しています。

東レは、この苦しい時期もリストラを回避し、「売上高は上がっている、利益は上がっている、そして雇用は守っている」という成果を提示することで、その経営手法の正しさを証明しました。