「三井のオリジン」越後屋が「伊勢丹」と合併した道筋

三越伊勢丹ホールディングス(HD)は、日本の百貨店業界の盟主として、「越後屋」の時代から350年以上の歴史を誇る老舗です。

その歴史は、三井グループの源流企業である三井高利が1673年に創業した呉服商にさかのぼり、まさに日本の「商業の近代化」そのものです。

三越伊勢丹HDは、日本の百貨店の象徴である「三越」と、モダンなファッションに強みを持つ「伊勢丹」という、全く異なる文化を持つ二つの名門が2008年に経営統合して誕生しました。

呉服屋から百貨店へ、「三越」の王座崩壊

三越は長らく、日本橋本店を絶対的な核とする経営を続けてきました。本店は「売上高の4割、利益の7割を占める旗艦店」であり、その経営効率の高さから「不沈艦」とも呼ばれました。

この収益力の秘密は、借入金が皆無であることや、仕入れを現金買い取りで行うため原価が安くなるという、堅実な財閥系金融の思想に基づいた商法にありました。

しかし、高度経済成長期が終焉を迎える中で、この老舗も変わらざるを得なくなります。
1972年の創業300年を迎える頃、三越は「眠れる獅子から、がめついライオンへ」というキャッチコピーを掲げ、大衆化路線も取り込む「全店特売場化」とも言われる積極的な拡大路線を突っ走ります。

この変貌を牽引したのが、当時の岡田茂社長です。彼の経営手法は「岡田商法」と呼ばれ、25年間連続経常増益を達成するなど、三越を小売業界のトップクラスに押し上げました。

〈三越崩壊の真相〉“独裁社長”追放で在庫787億円…名門を救った「伊勢丹との統合」全内幕_1
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しかし、この商法は、次第に「暴走」を始めます。岡田体制は「超ワンマン」として社内に独裁体制を敷き、「問屋への押しつけ販売」や、愛人への利益供与といったスキャンダルをまき散らしました。

1982年、「岡田三越の崩壊」が起こり、岡田社長は「なぜだ!」の一言を残して追放されます。彼の置き土産は、店頭や倉庫に残された「787億円にも上る巨額の商品在庫」という強烈なものでした。

これにより、創業310年の老舗の信用は失墜し、本店さえもSOSを出すほどの打撃を受け、顧客の急速な離散を招きました。

このかつてない危機に対し、三井グループの重鎮が介入します。三井銀行の小山五郎相談役は、「三越は誰がなんと言おうと、三井のオリジン(源)」という強い思いから、三越の社外取締役として自ら岡田社長の退陣を迫ります。

岡田事件後の三越は、「オカダ独裁シンドローム」という強烈な後遺症と闘いながら、「下意上達」で社員のモラルを回復させるという、苦しい再興の道を歩むことになりました。