「三井+住友」の先駆け、「海の三井」としての顔

三井グループの海運を担う商船三井には社名に「三井」がありますが、実は元住友グループの会社と合併した「三井+住友」の統合の先駆けでもあります。

商船三井は、日本郵船と並び称される日本の海運大手3社の一角です。その事業は、鉄鉱石を運ぶ巨大なばら積み船から、マイナス162℃の液化天然ガス(LNG)を運ぶLNG船まで多岐にわたり、まさに「海の三井」として日本の産業とエネルギーを支えています。

三井と住友が“先に手を組んでいた”意外な企業…海運大手・商船三井を生んだ「1964年合併の衝撃」_1
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商船三井の最も古い前身は、1884年に瀬戸内海の船主55人が設立した大阪商船です。この大阪商船は、住友銀行と資本的・人的に深く結びついており、戦前は住友系の海運企業として知られていました。

一方、三井船舶は、三井物産の船舶部が1942年に分離独立してできた企業で、純粋な三井系の海運会社でした。

1964年、この大阪商船と三井船舶が合併し、「大阪商船三井船舶」が誕生します。これは、当時ライバル関係だった三井と住友が、金融(三井住友銀行)よりもはるかに早く、海運という実業の世界で手を組んだ先駆けであり、「三井と住友の2大財閥の代表会社同士の合併」として、日本的常識を逸脱した特異なケースでした。

この合併が、商船三井の経営に三井の「商業的進取性」と住友の「堅実な組織力」という二つの風土をもたらしました。

住友グループからは外れた理由

三井グループと住友グループの統合でありながら、商船三井は現在、住友グループの主要企業とは認識されていません。住友グループ広報委員会のリストにも社名が登場しません。

その理由は、歴史的に三井・住友の両方のルーツを持ちながらも、海運業界の再編と企業戦略において、最終的に三井グループの枠内で活動することを選択したからだと考えられます。

住友グループの核となる会合(白水会など)に加盟し続けるには、住友の企業理念に基づいた経営や、グループ企業との関係性維持が求められます。このため、純粋な住友系ではない企業や、事業の独立性が高い企業が、住友グループの中心から外れていく傾向があります。

海運業は、その事業特性上、国際的な連携や競争が激しく、特定の国内グループの枠組みに依存しない独立性が重視されます。住友グループは、三菱(日本郵船)や三井(三井物産・三井船舶)のように、グループ内に海運を中心事業として位置づけなかったため、商船三井は三井グループとして存続することになりました。

また、商船三井の場合、特に三井物産との連携に重点が置かれました。三井物産は、商船三井の主要な荷主であると同時に、LNG船事業などの大型プロジェクトにおける重要なパートナーです。

ちなみに三井グループであることから、接待時のビールは不文律的にはサッポロビール…ということになりますが、実は同時に、商船三井はサントリー製品の海外輸送を受託しています。そのため、社食ではサントリーのザ・プレミアム・モルツが飲める、というのがちょっとしたトリビアです。