校則が生徒と教師を分断する
西郷 学校の先生たち自身も理由が分からない校則を生徒に守らせようとして疲弊していくんだよね。合理的な説明ができない校則が先生と生徒を分断させているんだ。自分の言うことを聞くかどうかの試金石になって、守らせている先生が能力の高い先生だという評価になる。
僕が校則をなくしていったのも、そういう分断の装置をなくしていきたかったからだよ。本当にくだらない。頭髪も服装も勉強とは関係ないし、誰かに迷惑をかけているわけでもない。先生たちももっと大事なことに時間を割けるようにするべきじゃない?そうしたら子どもたちもさらに心を開いて信頼してくれる。そこに行く前に校則が障壁になっていたら、校則をなくしちゃえばいいんだよ。
宝上 私が子どもたちの前で自然体でいられるかどうかというのはすごく大事なことなので、校則を守れていなくても、私がダメな先生と思われようが何だろうが、この子たちと楽しくやれればいいんだっていうふうに思えれば良かったんだろうけど。
私が私でいられない要因の一つとして校則は確かにあったと思う。とにかく守らせなきゃいけない、きっちりさせなきゃいけない。規則遵守と自分の思いが絡まって、やっぱり自然体でいられなかった。
西郷 難しいよね。そういう「学校とは、教師とはこうあるべき」という組織の中で一人だけ自然体というのは(笑)。
宝上 でも先生は自然体だったんでしょう?
西郷 そうだね。だから、それは自然体というか、「こうあるべき論」に対する反発っていうかね。聞いていると大正西中学校は典型的な荒れた中学校だったんだね。桜丘中学校もそういう学校だったし、今でもそういうところはたくさんある。
そういう「荒れた」学校に招かれて校則をなくした講演をするんだけど、話し終わると決まって、いろんな、特に若い先生が寄って来てさ、「西郷先生の言われるとおりだと思うんだけど、この学校で、自分の立場としていったい何ができますか」という質問をよく受けるのね。
校長じゃないから学校全体を変えることは難しいかもしれないけど、自分のやりたいこと、やりたい方法があるんなら、それを一人でやればいいよって伝えるんだ。人から何を言われようが、自分がそうしたいんであれば、そうすればいい。
頑張ってやっていれば必ず、今までそう思っていても言えなかった人が他にもいて、「私も実はそのやり方に賛成でした」って言う人が出て来る。だから、まずは自分だけでもやってみりゃいい。何と言っても子どもに自分でも理不尽だと思っていることを押しつけているのは、子どもの心に悪いだけでなく自分の心にも悪いことだと思う。
宝上 教師自身も、もやもやしていると見透かされますね。
西郷 桜丘中学校に大阪から転校してきた女の子が一人いてね、何か、怯えておどおどしていたんだよ。ダブルの子でさ、生まれつき髪の毛が茶色いんだよ。大阪時代に黒く染めろとまでは言われなかったらしいんだけど、やっぱり髪の毛の色のことで肩身が狭かったらしいんだ。うちの中学ではもうそんな思いはしなくていいので、そこから変わっていったけれどね。
宝上 文部科学省が生徒指導提要という生徒指導に関する理論や考え方、指導方法などをまとめたものを最近改訂して、何かそこに「校則について柔軟に運用すべし」みたいなのが書いてあったんです。
ああ、これって西郷先生の学校が話題になったり、ブラック校則の問題が指摘されたりして変わってきたのかと思ったんです。高校に進学したら校則がゆるいのが許されるのは進学校が多くて、それは自分で考えられる子たちだから自由にしていいんだとか、そんな意見があるんですが、どうなんでしょう。
西郷 ニワトリと卵だよ。自由だから勉強できるのか、勉強ができる学校だから自由なのか因果関係は分かんないけどね。自由だと言われる学校では「勉強ができる」ということが、一種の免罪符になっているんだね。
若い人に人気があるひろゆきという人の考えと同じで、新自由主義的な能力主義の免罪符。この子たちは勉強ができるという能力があるから自由にしていいというおかしな特権だよ。勉強ができると言ってもいわゆる偏差値学力でしかなくて、ペーパーテストができる特権として自由が与えられている。おかしな話だよね。














