いかにして校則をなくしていったのか
宝上 生徒と良い関係を築きたいのに校則がむしろ分断を招いている。それで西郷先生は校則をなくしていくわけですけど、具体的にどのようにされたんですか。教育委員会は何も言ってこなかったんですか。
西郷 教育委員会に相談する必要はない。校則については校長が決定権者だから。それでも校則がすべてなくなるまでには4年という十分な時間をかけている。本当に自由にしたらどうなるのか、教員はみんな恐れているんだよね。
1回経験すれば安心するんだけどさ、校則のない学校を先生たちは経験していないからね。桜丘中学校はなくしても大丈夫だということを実証したわけだから、先駆者としての意味はあったと思うけどね。
宝上 桜丘中学校の中でも、反発してくる子とか、自由にして反抗に拍車がかかる子とかいなかったですか。
西郷 元々、桜丘中学校って大変な学校だったんだ。本当に荒れていて、異動の時期になると、先生たちは桜丘中学校には異動したくないってみんな言っていたの。
実際、隣の中学校で副校長(教頭)をしていた時、異動の話が出る1月頃の会議で集まった副校長は異口同音に桜丘中学校には異動したくないと言っていた。その学校にいた優しい英語の先生も桜丘中学校に異動したら、心を病んでしまって1年で退職してしまった。
ただ僕は若い頃に、大正西中学校じゃないけど、そういう荒れた学校も経験していたから、いくら教員が力で抑えたってダメだと分かっていたからね。どうすれば学校が落ち着くのか、言わばノウハウを知っていたんだよ。そして、その方法でやって見せるというのが僕の方針。
初めは、子どもたちも校則がないことに懐疑的で、そんなはずはないだろうと「試し行動」をするんだ。わざとヘンテコな格好をしてきたり、授業中にスマホのゲームをしてみたり。でも、やっぱり何も叱られないと分かると、安心して自然体に戻る。そうして教員との信頼関係が構築されてきた。
宝上 校則をなくすことを実現するためには先生方の協力も必要だったと思うんですけど、どういうふうに理解者というか、仲間のスタッフのような方を集められたんでしょうか。
西郷 教育委員会へは、異動での配属は新規採用をお願いしますって伝えていた。まっさらでフレッシュな人。固定観念、いわゆる変なマインドセットがない教員に僕が桜丘中学校のやり方を教えていく方法を取っていた。
それでも最初は、生徒との関係作りでつまずくこともあるんだけど、実はそうやって悩んでいる先生の方が、最終的には成長するんだよね。だから、1年間教員をやってみてね、「僕はもう力ないから辞めます」とか言う先生ほど、ばーんって伸びるの。
子どもが悪いとか、家庭が悪いとか言っている人は伸びない。「もう無理だから、辞めていいですか?」って言ってくる先生がいたら、その先生のことを「べたぼめ」してあげる。「いろいろな先生をたくさん見て来たけど、あなたは絶対伸びるよ。いい先生になる」って。
宝上 泣ける(笑)。
西郷 じゃ、もう1年やってみようかとなって。いや、本当に伸びるんです。すばらしい先生になります。あと、桜丘中学校の生活指導主任というのが体育会系の超怖い先生だった。僕、たまたまその怖い先生のお姉ちゃんを教えていたことがあってね。国立の千葉大学って難しい学校の建築科に進んだ優秀な頭のいい子だった。弟はというと、全然勉強はできなかった。サッカーばっかりやっていた。やんちゃで先生に迷惑ばかりかけていた子だったけど、心根はとてもいい子でみんなにかわいがられていた。
体育会系の大学を卒業して教員を目指したんだけど、7回も教員試験に落ちて。8年間も就職留年してやっと受かって配属されたのが桜丘中学校だったんだ。
サッカー命だから、スポーツの世界しか知らないんだよ、その先生。だから、当然、体育会系のノリでガガガガガガッと怒るんだよ。よく生徒と喧嘩して投げ飛ばしちゃったりした。いわゆる体罰になるのかな。そういうのの後が大変なんだよ。よし、じゃ、教育委員会に謝りに行くから背広着て来いって、一緒に行っては、私の監督不足ですいませんって3回ぐらい謝りに行ったかなぁ。
その生活指導主任が強く言うと、他の先生は反対でも渋々言うこと聞くんだよ。その先生が意見を言うと、絶対、他の先生から文句出ない。だから、あえてその先生といつも話をしていたんだ。学校の校則について、何で靴下は白なんだ? 紺はダメなのか? とか。
宝上 生活指導の先生とですか。














