父は居酒屋で働き、母はパチンコ店の清掃に
ボクシング世界3階級制覇王者・中谷潤人は、順風満帆に見えるキャリアの陰で、家族の献身的な支えを受けて歩んできた。
グリーンボーイ時代に何度か貧血で倒れた潤人を案じ、料理人の父・澄人は息子の食事を徹底的に支えることを決める。三重県東員町で10年間営んできたお好み焼き店を閉め、2016年7月に所属ジムのある神奈川県相模原市へ家族を連れて移住した。
「減量もありますしね。潤人は新人王予選の時に薬局で、三重に帰省中の電車の中で、日本チャンピオンになってからもトイレで、と倒れています。ですから、食のサポートをしてやりたかったんです」と振り返る澄人にとって、店を閉める決断は断腸の思いだった。が、親としての覚悟が勝った。
2017年、板前修業中だった弟・龍人、さらに母・府見子も相模原に移り住む。しかし新天地に伝手はなく、澄人はまず病院の夜勤警備員として働いた。
板前として働けばもっと多くの収入が見込めたが、「苦しい経験をしておくことで、新しい土地で何か見えてくるものがある」とあえて険しい道を選んだ。やがて一家は2019年、三重県四日市名物「トンテキ」の店を相模原で開店する。
かつて営んだお好み焼き店は、地域の常連客に支えられ、息子たちの人間形成にも強い影響を与えた。
「あの子らの人格はお客さんたちに教育していただいたものでもあります」と澄人は語る。相模原でも、成長した潤人と龍人が地域に溶け込む期待がこめられていた。
だが、開店からほどなくしてコロナ禍に襲われ、店は1年も持たずに閉店を余儀なくされる。ちょうどその頃、中谷の世界タイトルマッチもパンデミックで2度延期。
ロサンゼルスでのスパーリング、国内での走り込みキャンプを繰り返しながら、試合が決まらない状況に耐え続ける。「辛い時期でしたが、僕にしか味わえない経験」「決まれば絶対に勝つ」と、自らに言い聞かせて前進した。
父・澄人も立ち止まらなかった。ベランダの「笠木」を施工する職人としての技術を習得し、2021年に独立を果たす。三重でお好み焼き店を持つまでの3年間は建設業のアルバイト、夜は居酒屋で働き、妻はパチンコ店の清掃に出るなど、家族で資金を貯めたこともある。
「何でも経験が生きますよね」と話すように、澄人は様々な仕事をこなし、家族を支えてきた。
積み重ねた労苦と、息子の夢を支えるための揺るぎない覚悟。世界3階級制覇王者・中谷潤人は両親の背中を見て育ち、歩んでいるのだ。













