人の心を打つメソッドはない『ギアをあげて、風を鳴らして』辻村深月×平石さなぎ_1
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「あれしかない」ラストシーン

辻村 贈賞式からちょっと経ちましたけれど、作家であることに慣れました?

平石 だいぶ落ち着いてきて、書くことのほうに気持ちがいっています。

辻村 作家になってはじめての作業がいろいろあると思いますが、どうですか。

平石 自分の原稿をゲラで読んだら、もう、よく選んでもらえたなと思って。むちゃくちゃ赤を入れてしまいました。ゲラを読む時って、こんな絶望した気持ちになるのかと……。辻村先生は、デビュー作のゲラの作業ってどんな感じでしたか。

辻村 最初はたくさん直さなきゃいけなくて楽しくはなかったです。でも、必ず終わる作業だから、徐々に楽しく思えるようになってきました。小説を書き上げるまではゼロを一にする作業なので先が分からなくて不安もあるのですが、ゲラは四を十にするような感覚で、いつか終わると分かっているので。

──平石さんは、小説を書き始めたのはいつ頃からなのですか。

平石 大学に入ってから読書にはまって、本って面白いな、自分でも書きたいなと思い、はじめて小説を書いたのが二十歳の時でした。その時に小説すばる新人賞に応募したんですが、その後は別の賞に応募していて、この賞には今回が二回目の応募でした。

辻村 他にはどんな賞に応募されていたのですか。

平石 小説現代長編新人賞とか、それこそ辻村先生がデビューされたメフィスト賞とか。

辻村 そうなんですか!

平石 読むのはエンタメ系ですが、たまに純文学の賞にも応募していました。

辻村 メフィスト賞にはどんな作品を応募されたのですか? まずそこに食いついてすみません(笑)。

平石 今回受賞した『ギアをあげて、風を鳴らして』の前身になる話で、宗教団体で創始者の生まれ変わりとされている十歳の癒知という女の子と、同い年のクミという転校生が仲良くなるというストーリーラインは同じです。女の子二人を書きたかったんです。でも、その時の原稿はもっと粗くて長くて、メフィスト賞の選考の座談会の記事でも取り上げられませんでした。それでちゃんと書き直そうと思い、半分くらい削って、原型がないくらいに書き直したものを、小説すばる新人賞に応募したんです。

辻村 最初のうちは書き上げたものを削るのは難しいと思うんですが、それができたのは素晴らしいですね。

平石 削る作業は結構好きなんです。ただ、R-18文学賞の最終候補に残ったことがあるんですが、その時に、削った部分に良さがあったと思う、という選評をいただいたんです。自分では無駄だと思っていたところが大事だったりするんだなと思い、そこからは削ることを警戒するようになりました。

辻村 いろんな新人賞の選考をしていると分厚い原稿が多いんです。新人のうちは、書きたいことを詰め込みがちだから。でもそうすると作品の芯がぶれたり、しっかりした構成にならなかったりするんですよね。平石さんの作品は無駄があまりなくて、その点もすごいなと思いました。さきほど女の子二人を書きたかったとおっしゃっていましたが、二人の関係性を書きたかったということですか。

平石 そうです。正確にいうとラストシーンが書きたかったんです。最後が決まっているというのは私の中では珍しいパターンなんですけれど、そこに向かって書いていきました。

辻村 ラストシーンはもう、あれしかないと思えて、すごくよかったです。この受賞作は子供二人の逃げ場がどんどんなくなっていく物語です。読み進めていくと、都合よく大人が理解を示してくれたり、第三者が助けにきてくれたりする道が、どうやらこの小説には用意されていないと分かってきて、もうどうなっちゃうの! という気持ちで読むことになる。だからこそ、あのラストシーンがすごく響きます。とても愛おしい小説だと思いました。

平石 ありがとうございます。

「自分の教室に戻る」感覚で子供を書く

辻村 私は冒頭の癒知視点とクミ視点の部分を読んだ段階で、今回はこれが受賞作だなという気持ちでした。描き方がまず「大人が書いた子供」ではなかった。子供ってきっとこう、という離れた目線ではなく、平石さんは違和感なく子供の視点が書けていて、それは才能としてかなり高いところにあると思うんです。物語の中で、二人が小さい子供だから入れる秘密基地を見つけますよね。あれと同じような、大人になると入ることができなくなってしまう場所に、平石さんは今でも時々帰ることができる人なんだなと思いました。そこにある子供たちの大切な宝物には不用意に手を触れずに、でもそこにある感情とか目線を取り戻してそのまま外の世界に戻ってこられる。

平石 そんなふうに言ってもらえるなんて。泣きそうです。

辻村 この小説は多くの人の心を打つと思います。二人と同年代の子が読めば今の自分の気持ちと重ねて読めるし、大人が読めば彼女たちの気持ちがどれだけ尊いか、どれだけの窮屈さとままならなさを抱えているかがきっと分かる。選考会でも、彼女たちが十歳だというところが絶妙だという話になりました。本人たちは自覚していないし言語化もしていないけれど、自分たちの置かれた状況に違和感を抱きつつある。それが読者には伝わってくるんですよね。

平石 めちゃくちゃ嬉しいです。子供視点の話でいうと、辻村先生の『ぼくのメジャースプーン』も小学生の男の子が主人公ですよね。主人公の「ぼく」はもちろん、幼馴染のふみちゃんの印象がすごく残りました。あれを書かれた時、辻村先生も子供の時のことを掘り起こす感じがあったのですか。

辻村 主人公を子供にする時は、「自分の教室に戻る」という感覚で書いています。だけど、子供の頃は言語化できなかったことがとても多いんです。だから私は、大人として当時の教室にカメラを持ち込んで、今の自分が撮っているから言語化できるんだという気持ちで、子供はまだ使わないであろう語彙も思い切って使っています。ただ、私も平石さんのように、そこにある子供たちの宝物には手を触れないようにしています。それができるかどうかが筆の力が試されるところなんですけれど、最初からできる人はできるし、できない人は「やろう」と身構えてしまう時点で絶対できなくなってしまう。だから、それができるのは平石さんの魅力だと思いますし、確かな筆の力をお持ちだと思います。

平石 本当ですか。そんなことを褒めていただけるとは。

辻村 あ、でも、意識しないでくださいね(笑)。呼吸って意識するとうまくできなくなったりするじゃないですか。それと同じなので。

平石 分かりました(笑)。