タイトルを先に決めるか、後で考えるか

辻村 作中の宗教の教典では「幸せ」の概念が「永遠の顔をした短い季節」なんですよね。すごく好きな言葉でした。その感覚は大人なら分かると思うんです。誰でも、永遠のような顔をしていたのに裏切られたとか、一瞬のために犠牲にしてしまったことってあるだろうから。そういうことに苦しめられてきたと思わせる大人たちのエピソードが作中にもさまざまな形で出てきます。ラストシーンも、教典のその一文と二人の姿が重なって、この一瞬が永遠になってほしいと思わず願ってしまう。伝えたいことを言葉で直接説明してしまう書き手も多い中、平石さんはエピソードとお話の構造によって読者に「永遠の顔をした短い季節」を感じさせる。そこにこそ小説や物語を書く意味があると思うんです。

平石 嬉しいです。

辻村 応募時のタイトルは「ギアをあげた日」ですよね。読み終えた後、私もすごくいいタイトルだと思いました。でも、デビュー作は、その人がまだどういう作家なのか誰も知らないので、タイトルは読者に内容を伝えるための絶好の機会でもある。「ギアをあげた日」はいいタイトルだけど、私は最初、自転車部とか自転車競技の話かと思ってしまったんです。

平石 それは周囲にも結構言われました。あらすじを読んでびっくりしたと。

辻村 癒知とクミの関係性や、生まれる家を選べない環境のなかで人がどう生きるかといった、ここを読んでほしい、ということが「ギアをあげた日」というタイトルだと伝わらないかもしれなくて、もったいないなと思いました。でも「ギア」という言葉は残してほしかったので、『ギアをあげて、風を鳴らして』というタイトルになってよかったです。

平石 私も「ギア」という言葉を残したかったんですけれど、それと相性のよいワードがなかなか見つけられなくて、十個か十五個くらいタイトル候補を編集者さんに送って、結局今のタイトルになりました。

辻村 選考会では選考委員が一人ずつ、応募作をどう読んだのかを話していくんですけれど、平石さんの作品の時は宮部みゆきさんが最初の発言者で、いきなり「私、ずっと悩んでいて」っておっしゃったんですよ。なにかと思ったら、「タイトルはこれでいいのかどうか。奇数の日にはもっといい別のタイトルがあるんじゃないかと思うけれど、偶数の日にはいやこれしかないって思う」と(笑)。ほかの誰もまだ意見を言っていないのに、宮部さんはこの作品が世に出ることを前提として、よりよい形を目指すお話をされていたんです。私も受賞を確信していた一人ですが、すさまじい先制パンチでした(笑)。そこから、選考会の結構な時間が、タイトルをどうするかという議論に費やされました。

平石 なんと……! タイトル、本当に難しくて毎回悩みます。今日ぜひおうかがいしようと思っていたのですが、辻村先生の作品は、タイトルありきで書かれているのか、後から読み返してタイトルになる言葉を拾っているのか、どちらなんでしょうか。読んでも全然分からないんです。あの、もっと喋ってもいいですか。

辻村 もちろんです。今日はそういう日ですから。

平石 辻村先生の作品で特にタイトルが好きなのが『凍りのくじら』と『ぼくのメジャースプーン』と『琥珀の夏』と『闇祓(やみはら)』なんですけれども、「琥珀」や「メジャースプーン」は作中に絶対必要なワードですよね。いつ思いつかれたのでしょうか。

辻村 今挙げていただいた小説は、全部最初にタイトルを決めていました。平石さんも今後、連載のお仕事をされると思うんですけれど、そうすると初回にタイトルを決めておかないといけないんです。デビュー作の『冷たい校舎の時は止まる』や書き下ろしの『ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。』などは後からタイトルを考えたものです。このふたつはなかなかタイトルが決まらなくて大変だったので、書き上げてからタイトルを探すほうが難しいんじゃないかと思います。

平石 私、一度タイトルを決めてから書いたことがあるんですけれど、作中にタイトルのワードをさりげなく出さないといけないと意識しすぎて失敗したんです。それ以来、意識しないほうがいいと思って、何も決めずに書くようになりました。でも、たとえば辻村先生の『琥珀の夏』には、琥珀というワードが作中にすごくさりげなく出てきますよね。このシーンで出そうと決めていたりするんですか。

辻村 たぶんこのシーンで出てくるなと予想して、肩の力が入っていることがバレないように投げる、みたいな。ドヤ顔をしないようにしています(笑)。新人賞の選考をやっていると、いまドヤ顔したなと感じる文章や言葉にめちゃくちゃ巡り合うんですよ。平石さんの作品にはそれがなかった。

平石 本当ですか。結構ドヤってしてしまったような(笑)。

辻村 そういう感じはしなかったですよ。よいフレーズがたくさん出てくるけれど、「これがキメです」という感じがなかったです。

怖いもの知らずの身の程知らずでした

──宗教団体を書きたいと思ったのはどうしてだったのですか。

平石 五、六年前に中村文則さんの『教団X』を読んだら徹底ぶりが容赦なくて、作家さんとしてすごいと思ったんです。私もいつか、こんなふうに宗教に触れるようなものを書いてみたいと思っていました。それで、女の子二人の話を書こうと決めた時に、意外と宗教団体と掛け合わせられるんじゃないかと思って。でも、新人が手を出していい題材じゃないですよね。今考えると、怖いもの知らずの身の程知らずでした……。

辻村 選考する側としては怖いもの知らずのものを読みたいんですよ。整え切っていない良さと出会いたくて選考委員をやっているようなところがあるので。

平石 そうなんですか。宗教については、もっとうまくなってからもう一回書きたいなと思っているんです。

辻村 一度書いたテーマを、また違う形で書いてみたいという気持ちは、この先財産になっていきますよ。それに、元の原稿を半分くらい削ったということですが、削った部分のエピソードが、この先なぜかずっと心にひっかかっていて、それが別の作品のきっかけになることもあるんじゃないかと思います。

平石 ひとつの作品で描き切れなかったことを別の作品で取り上げたことはありますか。

辻村 結構あります。分かりやすい例でいうと、『鍵のない夢を見る』は犯罪を扱った短編集で、放火や誘拐や殺人は書いたんですけれど、詐欺だけ書かなかったんです。それが後々まで気になっていて、じゃあ詐欺の話にしようと思って書いたのが、『噓つきジェンガ』でした。それから『冷たい校舎の時は止まる』は亡くなってしまった誰かの名前が思い出せないという密室劇だったんですけれど、密室じゃなくてオープンでもやりたかったという気持ちがあったんです。それで、今から誰かが亡くなることが分かっていて、それが誰なのか、未然に防ぐという展開にもできると思って書いたのが『名前探しの放課後』でした。

平石 そんな経緯があったんですか。

辻村 『ギアをあげて、風を鳴らして』は、物語の緩急でもはっとさせられるところがたくさんあったのですが、それもたぶん計算なくやられていますよね?

平石 計算していないです。でもそういうことも、計算してできるようになったほうがいいのかなと思ったり……。

辻村 ううん、計算しないほうがいいです。なんか、今後意識してしまいそうだから、あまり褒めないほうがいい気がしてきた(笑)。

平石 意識してしまいそうです(笑)。たまたまできてしまったことは再現性がないから、計算できたほうがいいのかと思っていました。

辻村 いちばんいいのは、無意識に選び取ることだと思います。私は本が出た後、インタビューに答えている時などに、「あ、あのシーンはそのために書いたんだ」と気づくことがよくあります。インタビューの最中は、さもはじめから気づいていたかのように話していますけれど(笑)。やっぱり、人の心を打つメソッドってないんですよ。小説を書く面白さはメソッドがないところにあるんだと思っています。

平石 辻村先生の作品は、私はどれを読んでも刺さるんです。そんな方が、メソッドがないとおっしゃるのを聞いて、本当に私、まだ全然何も分かっていないなと思いました。

辻村 計算して書いている方もいると思いますが、平石さんの作風や書き方を考えると、これからも計算せずに心のままに書いたほうがいい気がします。

平石 確かに、性格的に、計算はそんなにできないです。

辻村 たとえば癒知とクミの関係性も、シスターフッドを書こうと計算していたら、二人だけのあの独自の関係性ではなく、世の中にたくさんある結びつきの代表のような形になっていたと思います。

平石 固まりすぎたら駄目だということですよね?

辻村 駄目とまで思わなくて大丈夫。ある一人の作家の小説をいろいろ読んでいると、「この人これが好きなんだな」と思うことがありませんか。この人の小説はいつも終盤にごちゃっとするけれど、きっとこれが好きなんだな、とか。でも作家本人は、たぶん毎回ごちゃっとさせようとは思っていないんです。意識的にそうしようと思っていないのに作品に出てきてしまうものが、作家性とか作風と呼ばれるものになっていくのかなと思います。そして読者もそこに魅力を感じる。

平石 すごく勉強になります。私はプロの作家さんは、それぞれ自分の書き方がかっちり決まっているんだと勘違いしていました。