どんな人にも「隙間の場所」はある
──あやめさんはよく陽日に、「なにか面白いことあった?」というニュアンスで「外の世界の話をして」と言います。それがタイトルに繫がるわけですね。
タイトルは最初から決めていました。ピンクの家の子供たちのその後をあやめを中心に書こうと考えた時、彼女はちょっと過去にとらわれているなと感じたんです。ムーミン谷の外に出たら、きっといろんな軋轢がある。でもあやめはまだ、かつて属していた場所や家族にこもっているというか。それで、今の時代を知っていて、自分が行かない場所にも行っている陽日の話を聞きたいんでしょうね。でもこの小説のメインはあやめの過去の話であって、あやめの外の世界ではないんです。なのでこのタイトルをつけたのは、ノスタルジーにより過ぎないようにという、自分への戒めかもしれません。それに、あやめの言う「外の世界の話をして」は、ちょっとアンビバレンツなんですよね。陽日のような今の若い子の日常に興味はあるけれども、自分とは隔たったものとして知りたいだけで、飛び込もうとは思っていないんです。「外の世界の話を聞かせて」と言うこと自体が、内側にいるしるしかもしれないです。自分は安全地帯にいたいんだと思う。
──一方、陽日はあやめにピンクの家の話を聞きたがります。彼女にとってはピンクの家が「外の世界」ですよね。それと、陽日は学校の同級生より学校に通うのをやめた瞳と仲良くしていますが、瞳も陽日にとって、「外の世界」にいる人になるのではないかと。
そう。どんな人にとっても自分が属しているところの外は、「外の世界」なんですよね。そういう対比が、この小説には過剰なくらい出てきていますね。外と内が変化することもあります。南天文庫に来ている子供の中には単純に本だけが目的の子や、親の帰りが遅くて預けられている子がいるけれども、陽日みたいにこの場所に合ってしまう子もいるんですよね。そうすると南天文庫はその子にとって、外の世界ではなく、内側になる。それは面白いことだと思います。
──三歳からずっと南天文庫に通ってきた陽日は、文庫を自分にとって大切な「隙間の場所」と感じている。『ティモレオン』など、彼女が手にする書籍の具体名が出てくるのも楽しいです。書名はどのように選んでいったのですか。
その時々で何の本がいいか考えながら決めました。高校生の頃はきっと背伸びしたいし、本が好きな子なら読解力はもうすでに大人と同じくらいあるだろうから何がいいかな、と。選ぶのは楽しかったです。後半に陽日が南天文庫で子供の頃に読んでいた『おしゃべりゆわかし』や『トンカチと花将軍』などの児童文学の名作と再会して懐かしく思うところも気に入っています。そうした本の中も、居場所なんですよね。読んでいる間はみんな本の中に出かけていって、そこで登場人物たちに会うわけですから。この小説も読んでいる人にとって隙間になっていたらいいなと思っています。
──陽日が学校で友達を作らず一人でも平然と過ごすことができているのは、隙間の場所を持っているからなんでしょうね。
きっとそうだと思います。子供もそういう場所があると強いんじゃないかな。場所じゃなくて、人でもいいですよね。つまり、家族以外に、魅力的だと思える大人、面白いと思える大人がいたら……。
──江國さんの小説には時々、親以外の大人の女性となんらかの関わりを持つ十代、二十代の子たちが出てきますよね。羨ましいです。
私も、めっちゃ羨ましいです(笑)。
──今作は、大切な隙間を持っている人たちの物語といえますね。
結局、はみ出し者たちの話になりました。たぶん私は、はみ出し者の話が好きなんです。たとえば現在の時間軸でいうと、学校を辞めた瞳が分かりやすくはみ出し者ですけれど、彼女にも居場所は絶対にある。陽日はピンクの家出身の人たちを見て、そう感じているに違いないんです。そういうことは実際に見ないと分からないんですよね。言葉で「はみ出してもいいんだよ」とか「人はみんな違っていいんだよ」と言われてもあんまり信用できないけれど、そのように生きている人が現にいるというのは、とても心強いと思います。大人であっても環境や職場によって自由にできるかは違ってくるでしょうけれど、でもできるだけ、いろんな人が、自由に選んでいい、と思ってくれる世の中だといいですよね。













