撮影=大西二士男
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三浦しをんさんに影響を受けた二人

──お二人はそれぞれデビュー前にコバルト短編小説新人賞に入選されていますね。これまでに顔をあわせたことはありましたか。

宮島 阿部さんにはじめてお会いしたのは今年(二〇二五年)の四月、阿部さんが『カフネ』で本屋大賞を受賞された時の発表会でしたね。

阿部 はい。ステージ上で、前年の受賞者である宮島さんから花束をいただきました。

宮島 控室でご挨拶はしたけど主役の阿部さんは忙しいから、ゆっくり喋る暇がなくて。なので今回、お話しできて光栄です。

阿部 私もあの日、宮島さんだ! と思っていたのに、いろいろ目まぐるしくて、気づいたら夕方になっていました。

宮島 私も去年は余裕がなかったので、今年のほうが楽しかったです(笑)。会場を眺めて「三浦しをんさんがいる!」とか言って。

阿部 ステージの上から三浦さんに似た素敵な人がいるなと思っていたら、後からご本人だと聞きました。サイン欲しかった……!

宮島 私は写真撮ってもらいました。

阿部 いいなー。羨ましいなー。私、三浦しをんさんが好きすぎて、三浦さんが選考委員の賞に一生懸命応募したんです。三浦さんがせんだい文学塾にゲストでいらした時は岩手から新幹線で行って、最前列に座ってました。

宮島 阿部さんは、小説はいつから書き始めたのですか。

阿部 高校一年生の時です。高校受験の時に歴史の参考書を読んでいて、源義経と源頼朝の兄弟ってエモいなって思って。それで義経の話を書いて全国高等学校総合文化祭の文芸部門に応募したら入選のいちばん下にひっかかって、四行だけ講評がついたんです。私の書いたものを読んで何か言ってくれる人がいるのがもう楽しくて、そこから一生懸命書き始めた感じです。そのコンクールのほかに、三浦さんが選考委員だったコバルト短編小説新人賞に毎年応募していました。もともとコバルト文庫はいろいろ読んでいたんです。鷲田旌刀(わしだせいとう)さんの『放課後戦役』も好きでしたし、桑原水菜さんの『赤の神紋』を読んで「愛憎、嫉妬、最高!」って思ってました(笑)。それで短編賞への応募を続けて、大学生の時に「陸の魚」で入選したんです。

宮島 私は小学三年生の時に作文を褒められて、もしかしたら才能があるのかもと思って小説を書き始めたんですよ。

阿部 ずいぶんはやかったんですね。

宮島 でも二十代で一回書くのを辞めたんです。それにはいろんな理由があるんですが、そのひとつが、三浦さんの『風が強く吹いている』を読んで衝撃を受けたことでした。「こんなすごいものは私には書けない」と思ったんです。三十代半ばに書くことを再開したんですが、それは森見登美彦さんの『夜行』がきっかけでした。『夜行』は表の世界と裏の世界が入れ替わるようなお話ですが、私も裏の世界では小説家になっているかもしれないと思ったんですよね。それでまた小説を書いて、女による女のためのR-18文学賞に送ったら最終選考に残ったんです。編集者からその知らせの電話がかかってきて話していたら、三浦しをんさんがコバルトのサイトで小説講座をやっているから読むといいですよ、と言われたんです。いまは『マナーはいらない 小説の書きかた講座』という本になってますけど、当時はウェブで連載していたんですね。それを読んでコバルト短編小説新人賞の存在を知り、応募した「二位の君」で入選しました。

2025年本屋大賞の発表会にて
2025年本屋大賞の発表会にて
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デビュー後の阿部さんに訪れた作風模索の日々

阿部 私はいつもコバルト短編小説新人賞の作品がネットにアップされるとすぐ読んでいたんですよ。自分がもらった賞だということに関係なく、面白い作品が多かったから。「二位の君」も入選された時に読んで、すごく愛おしい作品だと思っていたんです。主人公たちの会話がすごくよくて、「ああ、青春だ!」って(笑)。

宮島 そんなリアクションをいただけるなんて、めちゃめちゃ嬉しいです。私、R-18文学賞には大人の恋愛小説を投稿していたんです。中学生の頃から『失楽園』とかを読んでいた子供だったし(笑)、テレビドラマもラブストーリーが主流な時代だったから、そういうものだと思っていたんです。でもさすがに今自分が書いているものはコバルトっぽくないなと思い、昔ワープロで書いていた頃のテキストデータから「二位の君」の原型になる話を引っ張り出してきて、改稿して応募しました。

阿部 よくデータを残してましたね。コバルト短編小説新人賞のおかげで「二位の君」が読めたってことですね。

宮島 その前のR-18文学賞が最終選考でダメだったので落ち込んでいたけれど、コバルトで入選したおかげで書き続けないともったいないなと思えました。だからコバルトに背中を押された感じがあります。阿部さんの受賞作「陸の魚」も、めちゃめちゃよかったですよね。水泳部の子の話で。

阿部 いやいや、昔書いたものの話は恥ずかしくて、もう耳から汗が出そう(笑)。

宮島 三十枚の中に無理なく世界が詰まっていて、この枚数でこんなことができるのかと思いました。

阿部 恐縮です。大学生の時、就活に疲れ果て、私は人間社会で生きていくのが嫌なんだよと思いながら大学のパソコン室でカタカタカタと短時間で書きあげたものです。

宮島 結構大勢の人が出てくるのに全然こんがらがらないし、しかも全員がちゃんと物語に必要な存在なんですよね。すごかった。

阿部 私はあの短編で入選したことに背中を押されて、卒業論文と並行してコバルトのロマン大賞に送る長編を書き始めたんです。

宮島 それがデビュー作となった『屋上ボーイズ』なんですね。

阿部 はい。でも、そこから暗黒時代がありまして。二〇〇八年に最初の本が出たんですが、売れなかったんです。当時の人気のテーマは〝ラブ〟だったんですが、私は宮島さんと反対で、恋愛小説は読むのは好きだけど書けないんです。だから、韓国ドラマを見たりハーレクインのロマンス小説を読んで勉強しました。

宮島 ハーレクインは私も読みました。田舎の書店でもハーレクインだけはあったので。あのレーベルは決まった型があるなかでいろいろ工夫があって面白いですよね。

阿部 そうなんです。それで、読んで自分の作風を模索したんですけれど、もがけばもがくほど泥沼で。もう小説を書くのはやめようと思っていた時に、オレンジ文庫が創刊されることになり、お誘いいただいたんです。きっとこれが最後になるから好きにやろうと思って書いたのが『鎌倉香房メモリーズ』で、運よくシリーズ化してもらい、やっと小説を書く楽しさを思い出しました。ただ、あのシリーズは「ライトなミステリーを書きましょう」と言われていたんですけれど、私、それまで一切ミステリーを書いたことがなかったんですよ。書き方が分からなくてすごく悩みました。それで、たまたま当時ツイッター上で知りあったミステリーの編集者さんに「ミステリーを教えてください」と連絡して、新幹線で東京まで行って、ミステリーとは何ぞやを講義してもらいました。

宮島 へええ。すごい行動力ですね。

阿部 本当に切羽詰まっていたんです。その編集者さんが後の『金環日蝕』の担当者です。