思わずネガティブな気持ちになってしまった時に読みたい本を、さまざまな分野で活躍する方々にお薦めいただくエッセイ連載「ネガティブ読書案内」。
今回は番外編として、集英社文芸編集部のスタッフ5人が初挑戦! テーマは「スマホを捨てたくなった時」です。
①『雨の島』呉明益/著、及川茜/訳(河出書房新社)
片田舎で、「東京はおっかねえところだ」と言われて育った。夜に映画を観に行き、余韻に浸りつつ女一人暮らしのマンションに帰り、そのまま寝てしまったことがある。翌朝スマホの電源を入れると親から大量に着信が入っていて、思わずのけぞった。親心に胸を痛めながらも、自分はこの小さな四角い物に一生振り回されるのか……とげんなりしたのを覚えている。もし手放そうものなら、即座に捜索願を出されるだろう。
ところで最近ハイキングに行くようになった。山はいい。周囲に人がいなければマスクも外せるし、運動になるし、電波が入らないのでスマホを見ることもない。ついでにまぶたの痙攣も治った。大いなる自然のパワーに違いない。
自然といえば、台湾の人気作家・呉明益による連作短編集『雨の島』も素晴らしい。私的なデータファイルへの『鍵』を近しい人に送り付けるウイルスが世界中でばらまかれ……という舞台設定のもと、短編一編につき一種の動植物をテーマに、台湾の自然と人々の交わりが美しく詩的に描かれている。主人公たちが大自然を、あるいは他者の記憶の中を旅するとともに、読者は草と泥の匂い、濃い霧と湿気を感じる。まるでどこか知らない不思議な山に立ち入ったような気分にさせられるのだ。
世の中がざわつく昨今、たまにはスマホの電源を切って、読書にふける時間が欲しい。後から尋ねられたなら、山に行っていたとでも言えばいい。
――編集者A
②『そして誰もゆとらなくなった』朝井リョウ/著(文藝春秋)
この際、認めてしまおう。多くの人にとって、読書はもはや「娯楽」の第一義ではない。なぜってスマホがあるから。悲しすぎる。だが、悲しみに暮れる自分が「息抜きに……」とつい、手に取るのはなにか――スマホだ。出版人なのに、編集者なのに! 負けてたまるか、本こそ極上の「娯楽」なのだ……!
そんな身勝手な私の主張をばっちり裏打ちしてくれる最強の一冊が、朝井リョウさんの最新エッセイ集『そして誰もゆとらなくなった』だ。「頭空っぽで楽しめる本」という帯の文言は、煽りではなく、ひたすらにまっすぐな事実だ。
私は読書によって脳内がぐるぐるにがんじがらめになる感覚を愛しているので、読書とは「頭満タンで楽しむ行為」とすら信じている節があるのだが、本書は例外だ。TikTokやInstagramのリールって、おもしろコンテンツが勝手に流れてくるじゃないですか。その感覚です。次から次へと流れてくるんです、おもしろ話が。しかも、「あなたの好み」に基づいたアルゴリズム云々を超えて、大尊敬する先輩の送別会で盛大にお腹が下ったり、偉い人たちの前で妙な健康プレゼンを始めちゃったり、明らかに場違いなダンス教室に乱入しちゃったりと、誰もが「ちょw」と爆笑しつつも我が身を振り返り「え、でもわかる……」と感じ入るであろう普遍的なエピソードばかり。「ないない」を語りながら「あるある」を感じさせるって、とんでもない筆力だ。
「こんな稀有な本はない、大事に読むべし」と思っていたのに、あっという間に読み終えてしまい茫然とした。「またスマホ触っちゃった」という罪悪感を抱かずに全力で息抜きをさせてくれる本として、くり返し愛読していく所存だ。
――編集者B
③『彼女たちの場合は(上・下)』江國香織/著(集英社文庫)
スマホはどこまでも追いかけてくる。
久しぶりに会う友人とのランチの間も、頭の芯までふやけきった日曜日の午後にも。
私は決してワーカホリックではない。けれど、小心者かつ忘れっぽいゆえに、できるだけ早くメールをチェックせねばと焦ってしまうのだ。だから、どんな時間・場所にも追いかけてくるスマホは、便利であると同時に面倒でもあり、愛憎相半ばする存在である。
もしも、スマホを捨てて旅に出たら? そんな私の憧れを実現した一冊が、江國香織さんの『彼女たちの場合は』だ。
14歳の礼那と17歳の逸佳。NY郊外に住む従姉妹同士の二人は、「これは家出ではないので心配しないでね」という手紙を残して旅に出る。二人の旅にはいくつかルールがあり、その中のひとつに「携帯電話は緊急用で、旅のあいだは電源を切っておく(GPS機能がついているかもしれないから)」というものがある。
ただでさえティーンエイジャーだけの旅なのに、二人は携帯電話を使用することはない。だから数多くの失敗をする。けれども決して携帯電話に頼ったりはしないのだ。
その潔さとともに、二人の瑞々しい経験にはっとさせられる。そこにはデジタル上のやりとりにはない生々しい手触りがある。そう、メールのやりとりを少し怠ったとて、実際に会った時の印象は超えられないのだ。
この本を読み終えたあと、思い切ってスマホの電源を切ってみる。旅を終えた礼那と逸佳のように、少しだけ強くなった気がした。
――編集者C
④『東京の名店カレー 黄金色のスパイス51粒』小野員裕/著(じっぴコンパクト文庫)
メールにLINEにSNS……仕事でもプライベートでも、もはや絶対に欠かせないアイテム、スマホ。ただ、返すべきメールがたまってしまったり、見たくないような情報が目に入ってきて、しばしスマホを脇に置いて現実逃避をしたくなるタイミングってありますよね?
そんな時、私は『東京の名店カレー 黄金色のスパイス51粒』に手を伸ばす。カレーマニア垂涎の有名店から、下町の喫茶店のおばちゃん自家製カレーまで51店舗を取り上げ、美しいカラー写真(もちろんカレーの)とともに、その特徴や価格、店内の雰囲気などが紹介されていて、「なんだかバタバタした毎日だけど、いつか行ってやる!」と、妄想を膨らませてあふれ出るヨダレを我慢する……月並みですが、やはり”食は人を幸せにする”ということを実感する瞬間です。
スタンプラリー感覚で一度行ったお店に赤ペンで〇をつけていて、まだ16店舗(半分も達成できておらず……)なので、全店制覇にはまだまだ時間がかかりそうです。でも、目標達成までの道のりが長いことで、いつまでも本書を楽しめて、妙に心地いいのです。
ちなみに、弊社がある神保町の「スマトラカレー共栄堂」と、カシミールカレーが有名な上野の「デリー」がおススメです!
――編集者D
⑤『月曜日は水玉の犬』恩田陸/著(筑摩書房)
日々、手のひらサイズの小さな機械に、時間を吸い取られつづけている。いつでもどこでも飛んでくるメッセージ(もちろんわたしも飛ばしている)に疲れ、夜この文明の利器を遠くに追いやっても、すでに自分自身のバッテリーだって残りわずか。いったい何ができるというのか。
こんなときこそ、ゆっくり読書!
……と言いたいところだけど、あまりの積読の山に、どこから登ればいいか決められないこともしばしば。そんなとき発見した「登山口」が、読書エッセイだった。
一篇が長くないので、気軽に読み始められる。そして何より、もっと本が読みたくなる。
恩田陸さんの読書エッセイシリーズは、最高の登山口だ。シリーズ最新作『月曜日は水玉の犬』でも、紹介されている作品はバラエティ豊か。マンガ・映画はもちろん、ビジネス書にまでその目は及んでいる。
この料理人エッセイ、気になる!(即ポチる)
あの評論、確かに面白かった。でも細部を覚えていないから、もう一回読もうかな。(そして本棚を漁る)
と、干からびた体に水が滲み込むように、好奇心が戻ってくる。読書欲にとどまらず、食欲や旅行欲まで刺激されるのだから、スマホ疲れはすでに忘却の彼方だ。
だからスマホが生み出す情報の洪水に疲れた人には、そっと読書エッセイ本を勧めたい。
読後は積読の山がさらに高くなるけれど、それもまた良しってことで。
雄大な山々を眺めるのと同じ心持ちで、本がもたらしうる豊かさを眺めればいいのだ。
――編集者E
次回更新は番外編(後編)、「会社に行きたくない時」をテーマに、また別の編集スタッフ5人がお送りする予定です。お楽しみに!