福島第一原発事故とその後の原子力政策
──少し話が戻りますが、2012年の大飯原発の再稼働は7月のことでした。橋下さんがちゃぶ台返しに至った過程はどのようなものだったんですか?
古賀 2012年の5月には大阪府市エネルギー戦略会議の報告書がまとまり、再生可能エネルギーにシフトしていけば、原発の再稼働なしでも日本のエネルギー需要に応えることができるということを示していたんですよね。
それを基にして、大阪府市が大飯原発3、4号機の再稼働に反対の声を上げることを期待していました。ところが5月31日に、橋下さんは再稼働することを容認したのです。しかも、当初は夏季の電力ひっ迫期間に限ると言っていたのに、その後の稼働継続も止めようとはしなかった。
そして、9月にはエネルギー戦略会議の開催が大阪府市の判断で停止されました。最終のとりまとめの妨害ですね。さらに橋下さんは、「原発ゼロでもエネルギーがまかなえる道筋がはっきりしないかぎり、その論議はきれい事にすぎない。(脱原発は)原理主義だ」とこちらを批判をしてくる始末でした。
実を言うと、橋下さんから僕宛てに、「大変なんです」っていう泣きのショートメールが入っていたんです。「維新の中がほぼ全員、原発を再稼働させるべきだと言っている。自分一人が何を言っても動かない状況です」と。
飯田 それが5月の終わり頃のことでしたよね。
古賀 それ以前の橋下さんは、本当に原発を再稼働するのなら「民主党政権には代わってもらう」と倒閣宣言をしていた。当時の橋下さんは飛ぶ鳥を落とす勢いでしたから、民主党はものすごく恐れていましたよ。そのまま突っ走ってくれたらよかったんだけど、結局、屈してしまった。
その理由としては、関電が、関西じゅうの中小企業に「絨毯爆撃」をしたのが大きいんです。「原発が動かなければ、この夏は計画停電になると思います。いつなるかはわからないが、準備しておいてほしい」と伝えて回った。言われた方は困りますよね。それで、維新の市議から府議からすべての政治家に対して、「橋下さんに原発を動かすよう言ってください」という嘆願がきた。もちろん、関西の経済三団体も再稼働容認を迫りました。
それと、これは高市さんとも似ているんだけど、橋下さんはあれだけ勇ましいことを言うわりに、びびり体質なんです。僕たちは、飯田さんを含めた電力のプロみんなで議論して、こうすれば電力は足ります、という数字を出して提案をしていたんだから。
飯田 そうなんです。結果的にその数値はぴったり合っていました。
──原発の再稼働なしでも、電力は足りると。
古賀 ええ。当然、最終的にはやってみないとわからないところはありますよ。それを、橋下さんはやらなかった。万が一電気が止まったら、全責任をとらなくちゃいけない立場だから。そこは確かに我々とは違うんだけど。
それと、大阪府や大阪市が国際シンポジウムのような大きなイベントをやったりするでしょう?そういうものに対して関電は支援や協賛をしているわけです。関電との関係が悪化すれば、大阪の行政が立ち行かなくなるということもあったでしょうね。ところで、今思うと、森永さんはそこまで「原発をすぐに止めろ」というスタンスではなかったですね。
飯田 当時のコラムでは確かにそうですね。
古賀 おそらく彼は、安全が担保されているのなら動かしてもいいんじゃないか、という現実路線だったんだと思います。あの頃はむしろ皆が「止めろ、止めろ」だった。その中でクールに、本当に止めて大丈夫なのかっていう目で見ていたんでしょう。今みたいにいろいろなデータが出ていて、原発なしでも問題ないということがわかっていれば、賛成されたんじゃないかな。まあ、あの当時、飯田さんたちが主張したことは、日本で初めて言われるようなことばかりだったから(笑)。
──飯田さんが新著『Ei革命 エネルギー知性学への進化と日本の針路』(以下、『Ei革命』)でも書かれている、化石燃料や原子力から太陽光や風力といった再生可能エネルギーへの転換ですね。
飯田 そうです。それは実際に世界的な流れになりました。2014年時点では世界の発電量に対して太陽光発電が占める割合は0.8%でしたが、それが2024年には8.5%まで増加しています。おそらく福島原発事故の時の数値は、0.1~0.2%くらいだったでしょう。
そんなものに頼れというのは、さすがの森永さんも含め、政策中枢の人たちにとってはお話にならない。しかしそれが2010年代に、驚くべきスピードで伸びていきました。2020年以降はパリ協定の影響もあり、風力発電を含めた再生可能エネルギーや蓄電池の普及が加速しています。そうなってくると、森永さんは情報に敏感な方だから、旧来の「大規模集中型」ではない「分散型」エネルギーについても見聞きする機会が増えたんだろうなと思います。
──それが、『「マイクロ農業」のすすめ』での脱原発や再生可能エネルギーへの言及につながるんですね。飯田さんがレクチャーされたんですか?
飯田 いえ、それはなかったですね。こういう資料をくださいとご本人から直接電話をいただいて、お送りしたと思います。
古賀 依頼はいつ頃だったの?
飯田 はっきり覚えていませんが、本が出る少し前でしょう。2020年か2019年あたり。
古賀 もしかしたら、僕が森永さんにお伝えしたのかな(笑)。再エネを含めた政策に関してなら飯田さん、原発のリスクについてなら原子力コンサルタントの佐藤暁さんというふうに、エネルギー関係ではいつもお二人の存在が頭にあるから。
飯田 そうかもしれない。突然、電話がありました(笑)。
古賀 それもおもしろいよね。誰かに一度つないでもらってそれから……という手続きを踏んだりせずに、直電なんだ(笑)。それと、コラムのところどころに出てくるけど、歴史修正主義との闘いというのも特徴的ですね。まさに今、そういうことが起きているんですよ。前首相の石破茂さんも言っていました。「石破下ろし」との闘いは、歴史修正主義との闘いなんだって。彼は結局、負けてしまったんですが。
石破さんが言うには、もともと自民党には、歴史修正主義者が一定数いたんですね。でも、あらゆることが順調で日本がうまく回っている間は自尊心も満たされて、大人しかった。ところが失われた10年、20年、30年となってきて、日本はダメだねと皆が口にするようになってきたら、「何を言ってるんだ!」という反発心が出てくる。
日本が戦争に負けて言うべきことも言わずに、自分たちが悪かったという自虐史観ばかりを植え付けられて、そのままやってきたからこうなったんだという、「逆ばね」が働いているんだと。
森永さんも、そういう歴史修正主義については、はっきり意識して書いていますよ。敗戦から時間が経って、戦争への危機感が薄らげば、威勢のよいことを言う人が支持を集める、と。














