国民が“生活の限界”を実感している最中に、政府がまたしても

「児童手当の拡充や高校の無償化などを受けて、政府・与党は高校生の扶養控除を縮小する方向で検討に入った」

一部メディアが報じた、高校生の扶養控除を見直し、実質的に引き下げる案が政府内で再浮上したという一部メディアによるニュースに、SNSでは瞬く間に怒りの声が充満した。

この反応は単に感情的な怒りではない。国民が実際に生活の重圧を肌で感じ、それが政治の感覚と完全にズレていることへの深い失望が背景にある。

食品も日用品も電気代も昨年より軒並み高くなり、節約の工夫だけでは到底追いつかない状態が続いている。家計調査でも可処分所得の実質低下が明確に示され、専門家の間でも「一般家庭の生活水準がすでに臨界点に達している」という分析が出始めている。

こうした“痛み”を日々感じている国民からすれば、控除削減とは“追い討ち”以外の何ものでもない。ここまで反対一色になるのは、単なる政策論争の範囲を超えているからだ。

ネット大荒れ「子育して罰金ですか?」高校生扶養控除の削減案にブチギレ多発…高市政権「見えない増税」は国民への裏切りだ_1
すべての画像を見る

国民が生活の限界を実感している最中に、政府がまたしても手取りを減らす方向へ向かおうとしている──その落差への絶望が噴き出したと言えるだろう。

そもそもこの議論は、今年1月の公明党の公式HPですでに触れられていた。

児童手当を拡充する議論の中で、自民党側から「給付を増やすなら扶養控除は見直すべきではないか」という意見が出されていたのだ。

しかし当時、公明党は「異次元の少子化対策を掲げながら、控除を削れば拡充効果を相殺する」「性急な縮減は家計に打撃を与える」として押しとどめたと明かしている。
つまり今回は“初出”ではなく、政権構造が変わった(自民・公明→自民・維新)結果、以前は抑え込まれていた議論が再び表面化したということになる。

国民生活は“静かな危機”の中にある

しかし、問題の核心はそこではない。より深刻なのは、政府がこのタイミングで扶養控除の削減などという逆方向の発想を持ち出してくる“感覚のズレ”そのものだ。

物価は1年前よりも上昇を続け、食料品、光熱費、ガソリン、生活必需品のほぼすべてが高くなり、家計は限界を超えつつある。賃金は伸び悩み、実質可処分所得は右肩下がり。

家族構成や働き方によっては「去年と同じ生活水準を維持するだけで精一杯」という声も珍しくない。つまり、国民生活は“静かな危機”の中にある。

本来この状況では、政府が本来議論すべきは扶養控除の引き上げなのである。少なくとも物価上昇に応じて控除額が見直される仕組み、あるいは子育て世帯の税負担を今よりも軽くする方向への移行が求められている。

ところが政権が示す方向性は真逆だ。

「給付を増やしたのだから控除で相殺する」という考え方は、一見すると財政中立的で整然として見える。しかし、生活が苦しくなっている今、国民に必要なのは“差し引きゼロ”ではなく、生活を再建できるだけの“純粋なプラス”だ。

控除の削減で帳尻を合わせようとする姿勢は、国民生活の改善という最重要課題をまったく理解していない姿勢といえる。