「子どもを育てるほど損をする国になった」

SNSがほぼ反対一色の状況となったのは、その生活の逼迫があまりにも深刻だからである。

「高校生の時期が一番お金かかるのに、どうしてこの時期の控除を削るのか」「部活、交通費、教材費…負担は増える一方なのに」「子どもを育てるほど損をする国になった」といった声は、特定のイデオロギーに染まった政治層からではなく、ごく普通の市民から溢れている。

SNSには「高市政権による裏切りだ」との声も
SNSには「高市政権による裏切りだ」との声も

児童手当を多少拡充したとしても、控除を削られれば手取りは減る。これでは、政府が言う「異次元の少子化対策」が単なるスローガンに過ぎなかったと証明してしまうことになりかねない。

そしてもう一つ、今回の炎上の背景には、高市政権への蓄積した不信感がある。

11月には国会議員の歳費を月5万円増額する方向で与党が調整していたという報道が流れ、国民の怒りが爆発した。

「物価高で困っているのは国民の方なのに、議員だけは増額か」と反発が殺到し、最終的には法案提出見送りに追い込まれたが、政府与党の“自己優遇体質”への疑念は消えていない。

反発の少ない控除の側で穴埋め

また、高市総理が消費税減税について「レジのシステム改修に1年以上かかり即効性がない」と発言した件では、現場のエンジニアから「数日で可能」と指摘が相次ぎ、説明の整合性に疑問が呈された。

こうした迷走の積み重ねが、今回の扶養控除削減案にも「結局、国民の手取りを減らす方向にだけ積極的なのでは」という不信感を強めている。

では、なぜ政府は国民の生活感覚とここまで乖離するのか。背景には、財務省が長年抱えてきた“給付拡大は控除縮小で中和せよ”という癖のようなものがあると言われる。

給付は一度拡大すると縮小が難しいため、反発の少ない控除の側で穴埋めしようとする構造が続いてきた。

また、与党内には依然として減税の財源はないが、補助金の財源は無限に出てくるというおかしな価値観が存在し、最初から取らない政策よりも取って配る政治、分配者として権力を強化する政治を優先する価値観が根強い。

だが、いま日本が直面しているのは、国民生活という最も基本的な土台が揺らいでいるという状況だ。この現状への認識が薄いまま、従来の発想で政策を作れば、生活者とのズレは広がるばかりである。