「子育てして罰金ですか?」

物価上昇によって実質的な税負担は自動的に増えているにもかかわらず、控除額は据え置かれ続けている。

この状況は“見えない増税”の連続であり、政府がそれを補正するどころか、さらに控除を削ろうとしているとなれば、国民が怒りを抑えられないのも当然だ。

ネット大荒れ「子育して罰金ですか?」高校生扶養控除の削減案にブチギレ多発…高市政権「見えない増税」は国民への裏切りだ_3

子育て世帯を本気で支援したいのであれば、控除の引き上げ、物価連動の仕組み、社会保険料負担の削減など、生活者の手取りを押し上げる政策にこそ力を注ぐべきだ。今は半導体やJICAなどに何兆円もばらまいてる場合ではないのである。

「子育てして罰金ですか?」

今回、多くのSNS投稿が最後に行き着いたこの言葉は、単なる怒りの表現ではない。この国の将来に対する深い不安と、政治への諦めに近い感情が込められている。

少子化の危機が叫ばれる中で、子育て世帯をこれ以上追い詰める政策はあり得ない。扶養控除の削減という発想そのものが、いま最も必要な方向性と正面から矛盾している。

高市政権が本気で国民生活を立て直し、子育て支援を推進する意思があるというのなら、まずこの“方向違い”の議論を明確に否定し、生活者の可処分所得を増やす政策へ舵を切らなければならない。

将来への投資を自ら壊す行為

そもそも扶養控除削減という発想そのものが、現在の物価高と実質所得の減少という現状に全くそぐわないのだ。

国民に必要なのは「負担のやりくり」ではなく「生活の再建」であり、政治がその最低限の前提すら理解していないことが、今回の反発を過去最大級の規模へ押し上げた。

そして何より、少子化が危機的水準に達しているなかで、子育て世帯の手取りを減らすという政策は、将来への投資を自ら壊す行為に等しい。

支援といって給付を増やしながら、裏側で控除を削るような“帳尻合わせ型の政策”では、国民の信頼はもう戻らない。

今回の騒動は単なる炎上ではなく、「政治が生活から乖離すれば、どれほどの反発が起きるか」を示す象徴的な事件だと言える。扶養控除削減は撤回されるべきであり、むしろ引き上げを議論することこそ、今の日本に必要な政治である。

文/オオサワ・キヌヨ