「自分の感情は全部押し殺していた」
佐野靖彦さん(63)の生い立ちは壮絶だ。
岡山県で一人息子として育ったが、実は双子の兄と3歳下の弟がいる。生活が苦しくて両親が子を育てることができなくなり、兄は父方の祖母と伯母に引き取られ、弟は生後半年で国際養子縁組されてアメリカに渡った。
佐野さんが物心ついたときにはキャバレー勤めの母親と二人暮らしだった。間借りしていた6畳間は悪臭を放つヘドロの川に面しており、夜遅く帰宅する母を大家さんの家で待つのが日課だった。
そんな生活は、小学1年生のとき一変する。刑務所で服役していた父親が出所して戻ってきたのだ。
「うちの親父はね、ヤクザとしても中途半端で、仕事はするけど続かない。入れ墨彫っているから夏場でも絶対長袖だし、酒好き、女好き、博打好き。あちこちで金を借りては外で遊びほうけていたわけ。家にいるのは金がないとき。で、その憂さを晴らすために、酒を飲んで母親を殴る。本当は気が弱いのに『口答えすな』っていうのが口癖で、うちの帝王だったから、逆らうことができない。
そんな中で育ったから、自分の感情は全部押し殺していた。母親は父親の顔色を窺い、自分の身を守ることで目いっぱい。他者をおもんぱかる能力がないっちゅうか、軽度の知的障害だったんだと思う。母親に抱きしめられた記憶は一切ないよ」
借金が返せなくなると、そのたびに一家で逃げた。引っ越した回数は、小、中学校で合わせて12回。小学校は3回変わった。クラスに馴染んだころに転校してしまうので、本音を話せる友だちもできなかった。
佐野さんが中学生のとき、両親は協議離婚したが、半年後には再び同居。
佐野さんは父親の母校である工業高校の建築科に進んだ。サッカー部に所属し、夜8時に帰宅。11時から建築の設計の勉強を始め、朝方5時まで没頭。努力の甲斐があり、建築の知識やデザインを競う大会で金賞を獲得した。
「父親にほめられたいがために、アホみたいに勉強したっちゅうこと。賞を獲ればね、ほめてもらえると思うじゃん。で、親父に言ったら、『お前1人じゃないやないか』って。実は、金賞は全国で5人いたわけ。素直に喜べよって思ったけど(笑)、ヤクザって、カッコつけるから。母親からは『父親は俺を怖がっていた』と聞いたけどね」