ホームレス生活で「人生を変える出来事」」
──「笑っていいとも!」で大ブレイクした後、突然の活動休止。その間は何をしていたんですか?
岸田健作(以下、岸田) まずは、一人暮らししていた家を解約して、帰る家もあったのに、あえてボストンバッグ一つで路上に出て、代々木公園でホームレスになりました。芸能界という場所や家など、用意してもらってるもの全てから卒業し、自分で一からやってみたかった。極限状態になったらどうなるかを知りたかったんですね。
──なんと、突然ホームレスになったんですね。一番つらかったのはどんな時でしたか?
岸田 最初は“ピクニック気分”でしたけど、すぐに現実に直面しました。夜は寒いし、食べ物もないし、道ゆく人に「何か恵んでもらえませんか?」とお願いするしかなかった。人生で一番、頭を下げた時期です。
当時は誰も立ち止まってくれなくて、人に自分の話を聞いてもらうって本当に大変なことなんだと気づきました。ただ、「あ、岸田健作だ!」と少年に気づかれ、仲間を呼ばれた時はさすがにビビりました。
その後、少年たちに囲まれて「マジでホームレスなん?」って聞かれて、正直に困っていることを伝えたら、親身になって話しを聞いてくれて、お金も恵んでくれました。100円のありがたみもわかるようになりましたし、ホームレス経験は自分にとって財産ですね。
──その後、代々木公園で人生を変える出来事があったとか。
岸田 公園で、打楽器を叩きながら踊る2人組を見たんです。ダンスと生のビートがめちゃくちゃ気持ちよさそうで、「自分はやっぱりダンスが好きなんだ」って思いました。そこで、バンドを組むことを目標にしたんです。
だけど僕は、いいとも青年隊のなかでも「過去イチ歌が下手」って言われてたくらい(笑)。実はあの時も、歌のレッスンを受けていたのに全く上手くならなかったんです。だから、ボーカル希望と偽ってメンバーを募集しましたが、歌えないからラップに転向したんです。
──本当に“ゼロからの再出発”だったんですね。
岸田 バンドと並行して日雇いで倉庫の仕分けバイトをして、日給8000円をもらって漫画喫茶に泊まって、ネットでバンドメンバーを探しました。そこで集まったメンバーの家にローテーションで転がり込んで、ホームレス生活から抜け出すことができました。
その後は鬼のようにバイトを入れてお金を貯めて、半年ほどでやっと一人暮らしができるようになりました。