会社からも恋人からも「逃げた」

高校卒業後は設計事務所に就職した。入社3年目に同じ高校出身の先輩が事務所を立ち上げ、佐野さんも誘われて移った。新しい事務所は少数精鋭で、高い技能を要求されたが、現場経験の少ない佐野さんは委縮して焦るばかり……。

「ずっと父親を怒らせないようにイエスマンに徹してきたせいか、わからないとかNOが言えなかった。相手に何か言われると、親父に怒られたときの恐怖が蘇ってきて、ビクッとしちゃう。そういう本音を隠して働いて、我慢に我慢を重ねて、結局、逃げちゃった。『辞めたい』とも言えずに、バックレたんです」

そのころ佐野さんには付き合っている恋人がいた。相手は、行きつけだったお好み焼き屋の看板娘。2歳年上の彼女は結婚したがっていたが、佐野さんは会社をバックレただけでなく、彼女からも逃げてしまう。

「だって、自分が生きることに自信がないんだもん。相手を背負っていくだけの実力はないわな。彼女の通勤用に当時のお金で3万円以上した自転車を買って、『これ、クリスマスプレゼント』と鍵だけ渡してさ。粋なことをしていたわけ。でも、彼女に甘えられても、どうしたらいいのかわからない。

相手を信頼して“甘える、甘えさせる”っていう人間関係、知らないからさ。都合が悪くなると、親がしていたように、『逃げる』ことしかできなかったわけ」

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
写真はイメージです(写真/Shutterstock)

バックレた代償は大きく、狭い建築業界内でこんなうわさが広がってしまう。

「あれだけ迷惑かけて、あいつまだ岡山にいるぜ」

佐野さんは2級建築士の資格を持っていたが、その後は、木工会社、工務店、販売店などを転々とした。家賃と光熱費を払うため、肉体労働に就いたことも。だが、何の仕事をしても、人間関係がうまくいかなくなり、辞めてしまうことをくり返した。

「20代で働いた10社のうち、バックレは6社。短いところは1か月くらい。バブルで求人もいっぱいあったし、逃げても、探せば仕事はあると、高をくくってたっちゅうのもあるよ」

ユートピアを求めて共同体の暮らしに

23歳のとき、農業・牧畜業を基盤としたユートピアを目指す共同体に出会った。当時は全国で生産物の販売フェアを実施していたので、自分の仕事の合間に販売を手伝ったりしていた。

「もう一度設計をやりたいと29歳で設計事務所に入ったんだけど、そこからも逃げたから、岡山に居場所がなくなってさ。たまたま渡りに船って、その共同体に逃げたわけ」

「生きることに自信がなかった」と語る佐野さん
「生きることに自信がなかった」と語る佐野さん

最初は配送の仕事をしていたが、「もっと本格的にやりたい」と思って、手伝いだけでなく共同体の運営地で暮らすことにした。

だが、そこでも、孤立してしまう――。

「みんなで仲良く家族になろうみたいな理念があって、やっぱり、どっかでそういうものを求めていたんだな。でも、自分は人を信用できなかったから、本当に打ち解けるっちゅうこともなくて、家族愛がうっとうしくなっちゃう面もある。そこにいる人って、自分の親と仲がいいんだよ。会員同士の結婚も多かったけど、自分だけが異星人、異邦人で、結婚の話も来なかったしね」

結局、運営地には5年間いて、98年に36歳で社会に戻った。