絶望して落ちるところまで落ちたから上がれた

食べられなくなるほどのひどい落ち込みから脱することができたのは半年後だ。理由を聞くと、石丸さんは少し考えこんだ。

「絶望まで行ったからですかね。落ちる途中でもがいて上がるのはパワーがいるけど、落ちるところまで落ちたので、底をちょっとトンと突いて、上がれた気がします。

あとは“あきらめと手放し”ですね。主治医に障害者手帳の取得もできると言われて、ある意味一般就労をあきらめた。障害者雇用を視野に入れて、就労移行支援事業所に行ったことも大きかったですね」

辛かった過去を、笑顔で話してくれる今の石丸さん
辛かった過去を、笑顔で話してくれる今の石丸さん

就労移行支援事業所ではさまざまなプログラムを受講した。そこで学んだことや出会った人たちのおかげで、自分が抱える双極症に向き合うことができたのだという。

「うつがテーマの映画や本にもすごく拒否感がありましたし、自分は怠けているとか心が弱いと人から思われているんじゃないか。ずっとそう感じていたのですが、それは自分の中にうつ病患者に対する偏見があるからなんだと気が付いたんです。

就労移行支援では、『自分にはこういう症状があって、どういう配慮をしてもらったら働けます』と説明しなきゃいけなくて、初めて自分の病気について勉強したんです。それで、うつ病は脳の病気なんだとわかったんですよ」

双極症になりやすい気質というのもあり、石丸さんも当てはまる部分があるそうだ。だが、その気質を持つ人が全員発症するわけではない。他にも何か、発症を誘発する要因があったのだろうか。

「正しいのかわかりませんが、極限まで運動をしていたせいか、私はストレスがあまり体に出ないんですよ。疲れたなと感じても踏ん張りがきいたし、体に出ないから無理できちゃった。一度始めたらやり通すべきという固定観念もあったので、知らないうちに限界を超えてしまったのかもしれないですね」

石丸さんは高校時代はソフトボール部に所属するスポーツ少女だった
石丸さんは高校時代はソフトボール部に所属するスポーツ少女だった