〈後編〉

脳の疾患で倒れ、高次脳機能障害に

10年前に脳の疾患で倒れた青木駿さん(59=仮名)。手術後は記憶障害や言葉に詰まる失語症の症状に苦しみ、高次脳機能障害と診断された。

「言葉の取っかかりの部分を一生懸命探すんだけど、頭が真っ白になってしまい、なかなか出てこないことがあるんです。特に電話だと困っちゃうんですね」

今回、自身のひきこもり経験を話してくれた青木駿さん(59=仮名)
今回、自身のひきこもり経験を話してくれた青木駿さん(59=仮名)
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取材中も、青木さんに質問を投げかけると、毎回ではないが、答えが返ってくるまで数十秒から1分ほどかかることがあった。表情から懸命に考えているのはわかるのだが、仕事や電話だと相手に説明するのも大変だろう。

そんな青木さんに追い打ちをかけたのはコロナ禍だった。

「不要不急の外出」を控えるよう繰り返し言われ、青木さんは家の中で過ごすうちに気力も失ってしまう。そのまま家にひきこもる生活は3年間続いた。

「ベッドに寝てばっかりいたら、筋肉が落ちてどんどん動けなくなり、何かをしようという気持ちが自分の中になくなってしまったんですね。その辺を散歩したら筋肉も戻るんじゃないと家内に言われても、何もできなかったです」

ひきこもったまま動けずにいた青木さんに、再び社会とつながる力をくれたのは、幼いころから慣れ親しんだ音楽だった。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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音楽や歌に囲まれて育ち、プロの合唱団に所属 

青木さんの父親は埼玉県で内科、小児科の診療所を開業していた。だが、青木さんが5歳のときに腎臓病で逝去。まだ幼かったため、父とお風呂に入るとロシア民謡の『ヴォルガの舟歌』を歌っていたのを覚えているくらいだという。

お嬢さま育ちの母親は働いたこともなく、父が趣味で集めていた切手や自分の着物などを質屋で売って生活費に充てた。

青木さんは4人きょうだいの末っ子で、姉は12歳上と10歳上、兄も8歳離れている。長姉は東京芸大を出ると家でピアノ教室を開き、次姉は看護師になって家計を助けてくれたので、青木さんは塾や習い事にも行かせてもらった。

「一番上の姉は蝶々夫人とかトスカとかオペラのアリアを家でも歌っていたし、家にレコードもたくさんあったので、僕もステレオでよく聴いていました。音楽が大好きでしたね」

写真はイメージです(PhotoAC)
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中学は吹奏楽部、高校では合唱部で活動。短大に進み本格的に声楽を学んだ。卒業後はプロの合唱団に所属。小中学校の音楽鑑賞教室で歌うため全国を回ったり、テレビ番組で歌ったり。

合唱団にエキストラで来ていた女性と知り合い、25歳で結婚した。

「30歳になり、そろそろ子どもが欲しいよね、生活を安定させなきゃっていう話をしていたころ、アルバイトしていた小さな出版社で社員にならないかと誘われました。でも、歌はもうやめるのが条件で、プロとして歌ってお金をいただいたのは、そこでおしまい」

まもなく長男が生まれ、2年後には長女が生まれた。