「佐川以来の神童」と呼ばれる男が現れた
本書の冒頭では、滋賀の田舎町で私がいかに神童として調子に乗っていたかを紹介した。
私の町には中学校が一つしかなく、また某R高を狙うような進学塾も当時はほぼ一択となっていたため、それらを制圧すれば普通に「町一番」を名乗れるような状況だったのだ。
私はペーパーテストで敵なしだった中学時代、自分がこのまま超エリートコースを驀進して圧倒的実績を積み上げていけば、遠くない未来に町役場前に自分の銅像が建ってもおかしくないと本気で思っていた。
ド田舎出身の方にはわかってもらえると思うが、非常に小さな町だったため、私が高校に進学した後も出身中学や塾の進学実績、そして生徒たちのレベル感は謎のネットワークから伝わってきた。
私の入手した情報によれば、某R高特進コースの合格者は毎年出るものの、私のように東大寺学園やラ・サールを撃破する者は出ていないようだった。中学の先生たちにも私の印象は強く残っていたらしく、「神童佐川」の大学受験がどうなったのかを気にしている者も多かった。
なぜそんなことがわかるかと言えば、私には五歳下の妹がおり、同じ公立中学校に通っていたからである。かわいそうなことに、妹は私を知る先生たちから「お前の兄貴、大学受験どうなった?」と聞かれまくったという。
妹が中一の時(佐川現役時)はみんなに「落ちました」「落ちました」と説明するはめになったが、中二の時(佐川浪人時)には「受かりました」「受かりました」と報告できたようで、私としてはまあ良かったのだが、妹はどちらにせよバリバリだるかったらしい。
ちなみに、妹は兄のキモすぎる受験狂ぶりを反面教師とし、勉強に全振りはせず部活等にもきちんと励んでバランスの良い青春時代を送ることを心がけていた。そのおかげなのか生まれつきの資質なのかはわからないが、妹は兄よりもはるかにまっとうな人間に成長している。
そういうわけで、私はしばらく町の生んだ最高傑作として王座に君臨し続けた。しかし、奇しくも妹と同じ世代に「佐川以来の神童」と呼ばれる男が現れていた。
名は国崎亮、中学では敵なしで、私と同じ塾に通ってやはり某R高を第一志望としているようだった。そんな情報も、この小さな町では筒抜けなのだ。
私は高校で濱慎平にやられてから自分の頭脳のショボさを思い知らされ、しかも中学時代は楽勝と思っていた京大相手に浪人までしたので、さすがに「町に銅像」みたいな馬鹿げた発想は失っていたが、心の奥でまだなんとなく「町のキングは俺だ」と思っていた。