〈伝説の英語教師〉宮坂の恐怖政治

私たちが高校三年生になると、伝説の英語教師と呼ばれる男、そして今も伝説を作り続けている男の授業がカリキュラムに組み込まれるようになった。名は仮に宮坂とさせてもらう。

一発目の授業の時、私たちは「なんかまあ有名な奴らしい」程度の認識で、特に何も考えていなかったのだが、宮坂はものすごい勢いでバキーン、バキーン!と教室のドアを開けて閉め、一番前の席に座っていた生徒の机の上にあった英和辞典「ジーニアス」をいきなり引っつかみ、教室の端のゴミ箱にブン投げたのである。

「お前らァ!!」と宮坂は言った。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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「日本の英語力はな、アジアでべべから二番なんや! べべがモンゴル! その次が日本や!! こんなもん使っとったら英語はいつまでたってもできるようにならん! 辞書は英英辞典のロングマンを使え!! 単語の語源をつねに意識しろ!!」

私たちはそれで度肝を抜かれ、みんな英和辞典をスッと机の中に隠した。

そもそも学校が推奨している英和辞典が「ジーニアス」と「ライトハウス」だったのだから、私たちは何も悪くないのだが、「いや、学校がジーニアスかライトハウスって言ったんですよ!」と反論でもしようものなら龍虎乱舞を食らうことは間違いなかった。

彼は毎回自作の英作文のプリントを用意し、生徒を指名して黒板に答えを書かせた。私たちはその番に当たった時にはビビり散らかしていた。

写真はイメージです(PhotoACより)
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書いた答えは大抵の場合ケチョンケチョンに貶され、吊し上げられてしまうからだ。

書かれた英文に鼻を近づけてクンクンと臭いを嗅いで、「神戸大学の臭いがする!」「というか教室全体が神戸大学臭い!!」と叫んで東大・京大・国公立医学部志望の私たちを辱めたり、英文を見た瞬間に「蛍の光」を歌い出して「駿台入学おめでとう!」とものすごい鬼畜スマイルを見せたり、本当に話にならない時は英文の上に高校の校章を書きながら「パンパパーン、パンパパーン♪」と校歌を前奏から歌い出すのだった。

こう書いてきて、みなさんはなんとひどい教師なのかという印象をお持ちだと思うが、彼の授業はすばらしかった。恐怖を感じながらではあったが、「こいつの言う通りにしてさえいれば東大・京大の英作文はクリアできる」という信仰を私たちは抱いていた。

東京大学(写真/Shutterstock)
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濱慎平のような天才ならいざ知らず、私やその他大勢の凡人が難関大に挑むという時、この手の信仰はかなり有用である。スポーツ選手などが「ゾーンに入る」という言い方をすることがあるが、当然ながら受験勉強にもその状態はある。

だが、そのためには目の前の問題や自分の勉強法に価値があるという前提を相当程度信じていなければならない。「カリスマ教師」と呼ばれる教師の真の価値は、その授業内容や表現力そのものよりも、強烈な信仰をもたらしてくれるという点にあるとすら言える。

私が直接授業を受けた経験のある中では、この宮坂と、駿台の生物を担当する大森徹先生(実名)が「カリスマ教師」のツートップだった。

写真はイメージです(写真/Shutterstock)
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私は文系なので生物はセンター試験にしか使わず、普通にいけば9割は切らないという感じだったのだが、「遺伝」の問題だけはややこしいものが来ると微妙だなと思っていた。

だが、夏期講習で大森徹先生の講義を受けるやいなや、「あ、遺伝いけるわ」となったのである。おそらく教室の空気感からして、一緒に受講していた多くの生徒が「遺伝いけるわ」となっていたと思う。

短期間しか受けていないので何がそんなにすごかったのかは忘れてしまったのだが、この「いけるわ」感を生徒に残すことが教師の大きな仕事であることは間違いない。