日本軍にスパイとして殺されることを恐れて
石川の収容所内では「難民収容に入っている住民は日本が戦争に勝ったときスパイとして全員処刑される、日本はきっと勝利するなどの噂」が流れ、それを信じた人たちは山中に逃げて戻った(金武2・戦争本編・319頁、同・戦争証言編・149頁)。
米軍の報告書のなかにも、日本軍が流した話として、米軍への恐怖心を煽るものだけでなく、日本軍は沖縄を奪い返す、その時に収容所の付近で見つかった民間人はみんな殺されるというものがあったことが記録されている(RG165/Entry79/Box609)。
せっかく米軍に食糧などを提供されるようになったのに、日本軍にスパイとして殺されることを恐れて山中の飢餓生活に戻ってしまった人たちもいたのである。日本軍による住民のスパイ視と残虐行為が、人々を無意味な飢餓に追いやったのである。
もちろん国頭でも移民帰りで英語やスペイン語、ポルトガル語ができる人が、人々が持っている米軍への恐怖心をやわらげ、米兵と話をして家族や住民を助けた例は多い(名護3・682-684頁)。
金武村では、ハワイ帰りの人が「ビラに書かれていることは真実だ」とみんなを説得、男たちが部落の様子を見に行くことになり、彼は「私が先頭になって歩く、もし途中で米兵に止められたら、ビラをもって手をあげ、愛想笑いをするんだ」と言って、みんなで家に帰った(金武2・戦争証言編・8頁)。
もともと食糧が乏しかった国頭の山中では戦闘が長期化し、米軍に収容されることが日本軍や警察によって許されないなかで飢餓に苦しめられた。国頭村の字浜の共同店沿革誌は、「深山生活を続ける中食糧は益々欠乏し、山中のヒゴ又はツワブキを食し、尚ほ弾雨の中を命を賭して部落此処彼処の畑を廻はりて芋を探し、亦は蘇鉄を取りて食し漸く餓死を凌ぐ」とその状況を記録している(『くんじゃん』360頁)。