世界で最も富裕な8人の個人資産の合計は下位36億人分の所得と同じ…面倒な民主主義の手続きを踏むよりテック・ジャイアントから「富のおこぼれ」を恵んでもらう方が話が早い未来の接近
マイクロソフトのビル・ゲイツ、アマゾンのジェフ・ベゾス、メタ社のマーク・ザッカーバーグ、オラクル創業者のラリー・エリソン、ブルームバーグのマイケル・ブルームバーグ……彼らを筆頭とする世界でもっとも富裕な8名の個人資産を合わせると、約48兆6000億円。これは世界人口の36億7500万人分の資産の合計と同じ額だという。もはや格差が問題だというレベルの話ではない。彼らの企業活動は戦争や民主主義、雇用形態など人類全体に影響を及ぼすといっても過言ではないのだ。
内田樹氏の書籍『沈む祖国を救うには』より一部を抜粋・再構成し「テック・ジャイアント」というリスクについて解説する。
沈む祖国を救うには#2
「別に民主制なんて要らない」という話になる
ビル・ゲイツ、イーロン・マスク、マーク・ザッカーバーグらの大富豪は2010年から大規模な社会貢献キャンペーンを始め、気候変動・教育・貧困対策などに関わるプロジェクトのために数千億ドル(数十兆円)を供出した。
今どきの超富裕層は「意識が高く(woke)」、貧困や疾病に苦しむ人々対しても同情的な「政治的に正しい」ふるまいを選好するらしい。
これまでの民主政であれば、市民は自分たちの代表者を議会に送り、法律をつくり、政府がそれを実行するという手間暇をかけなければならなかった。
だが、テック・ジャイアントたちを「領主」として頂く「新しい封建制」なら、「領主」さまに直接請願して、「いいよ」と言ってもらうとたちまち望みがかなう。
民主主義の煩瑣な手続きを踏むよりも、テック・ジャイアントから「富のおこぼれ」を恵んでもらう方が話が早い。
だったら、「別に民主制なんて要らない」という話になる。
民主政を迂回するより、「領主」さまの膝にとりすがって「ご主人さまの食卓から落ちてくるパンくず」(カール・ロイズ)を当てにする方が現実的だということになる。
民主政の主権者としてふるまうより、無力な平民として「心優しい領主」のお慈悲を乞う方がはやく幸福になれる。そんな考え方が広がれば、民主政は終わる。コトキンが「新しい封建制」と呼んだのは、このような未来社会のことである。
写真/shutterstock
2025/3/27
1,100円(税込)
208ページ
ISBN: 978-4838775293
なぜ日本はこんなにも「冷たい国」になったのだろう――
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ここ数年で、加速度的に「冷たい国」になってしまった日本。
混迷を極める永田町、拡大する経済格差、税の不均衡、レベルが落ちた教育界など問題が山積となっている。
また、アメリカの新大統領がトランプに決まり、国際情勢も先行きが不安定である。
生活苦しい国民に手を差し伸べることのない冷たい国で、生き抜いていくためにはどうしたらいいのか……。
この「沈みゆく国」で、どう自分らしく生きるかを模索する一冊!
<項目>
★「観光立国」という安全保障
★「最終学歴がアメリカ」を誇る、残念な人々
★ 加速する「新聞」の落日
★「食糧自給率」が低い――その思想的な要因
★ 第二期トランプ政権誕生の「最悪のシナリオ」
★ 民主政の「未熟なかたち」と「成熟したかたち」
★「自民党一強」の終焉
★ 80年後に残る都市は「東京」と福岡のみ
★ 今、中高生に伝えたいこと ……etc.
<本文より>
今の日本は「泥舟」状態です。一日ごとに沈んでいるし、沈む速度がしだいに加速している。
もちろん、どんな国にも盛衰の周期はあります。勢いのよいときもあるし、あまりぱっとしないときもある。それは仕方がありません。国の勢いというのは、無数のファクターの複合的な効果として現れる集団的な現象ですから、個人の努力や工夫では簡単には方向転換することはできません。歴史的趨勢にはなかなか抗えない。
勢いのいいときに「どうしてわが国はこんなに国力が向上しているのだろう」と沈思黙考する人はいません。そんなことを考えている暇があったら、自分のやりたいことをどんどんやればいい。でも、国運が衰えてきたときには、「どうしてこんなことになったのか?」という問いを少なくとも、その国の「大人」たちは自分に向けなければいけません。【中略】 読者の中には、読んでいるうちに「自分こそが祖国に救いの手を差し伸べる『大人』にならないといけないのかな……」と思って、唇をかみしめるというようなリアクションをする人が出て来るような気がします。そういうふうに救国の使命感をおのれの双肩に感じる読者を一人でも見出すために僕はこれらの文章を書いたのかも知れません。 ――「まえがき」一部抜粋