「素直に生きていきたい」
成績が伸び悩む自分を許せなくなった。2年の冬には「偏差値70以下は人間じゃない」と父親に話すほどに思い詰めていた。後に精神鑑定に携わった専門家は「勉強からどう逃れようか苦しさが垣間見える時期だった」と分析した。少年は自殺と家出を考えるようになり、1カ月後、事件を起こした。
「受験戦争」が過熱したのは1960年代の高度経済成長期。大企業への就職の足がかりとして難関大学を目指す学生があふれた。それから半世紀以上。現在は東京大に多数合格する進学校でも海外の大学を受ける生徒が少なくない。進路の選択肢は多様化している。
リクルート就職みらい研究所の「就職白書2023」によると、企業側が採用選考で重視する要素(複数回答)で最も多かったのは「人柄」で93.8%を占めた。続いて「自社への熱意」(78.9%)「今後の可能性」(70.2%)などが上位に入り、「基礎学力」は36.5%、「大学・大学院名」は17.2%で10番目だった。いわゆる「学歴フィルター」は薄まりつつあるといえる。
だが、少年は意識を変えられなかった。事件を起こす前、自分の学歴や収入をあげるためなら他人は蹴落とす対象だと捉えていた。逮捕後も拘置所内で開いたのは参考書だった。「自分には勉強しかない」。罪を償うため、稼げる職業につくには学力が必要だと考えていた。
検察側は懲役7年以上12年以下の不定期刑を求刑。弁護側は保護処分を求めた。更生を願っていたのだろうか。「周りからの救いがあれば事件を起こさなかったのではないか」と投げかける裁判員もいた。
法廷で証言に立った両親は、進学先や将来の職業について強要したことはなく、息子の内心は事件後に初めて知ったと明かした。「勉強ばかりしていて心配だった」「もう少し気にかけてあげられれば」と悔やんだ。
「勉強以外にも人を測る『ものさし』を考えてみてください」。被告人質問でそう諭した裁判長は23年11月の判決公判で「正面から向き合って、改善する努力をしてください。人生に対する希望を見つけて、社会復帰してほしい」と説諭した。判決は懲役6年以上10年以下の不定期刑。閉廷後、少年は背中を曲げ、頭を下げ続けた。
「虚栄心や功利、学歴で自分を押し殺したり、自分の価値を決めたりせず素直に生きていきたい」。最終意見陳述で嗚咽をもらしていた少年。価値観を変えるのは勉強よりも難しいかもしれない。視野を広げるために周囲や社会がどう関われるのか。事件はそんな教訓も残した。
文/日本経済新聞「揺れた天秤」取材班 サムネイル写真/Shutterstock