失われたキャンパスの自由

72丁目のメトロ周辺はあまり変わっていない。ここから毎日のようにコロンビア大学に通っていた日々。2年間私はいったい何をしていたんだろうか。

せっかくなので、そのコロンビア大学に立ち寄ろうと思ってメトロに乗ろうとしたら、今日は116丁目の駅は停まらない、と教えられる。やむをえずバスで116丁目に向かう。

ところが、である。コロンビア大学のあらゆる出入口は、警備員らによって厳重に警備されていて、在学生や教員も全員が入り口で厳重にチェックを受けてから入構を許可されていた。

コロンビア大学出入り口にて 筆者撮影
コロンビア大学出入り口にて 筆者撮影
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僕がここに通っていたのは2008年から2010年までなので、もう完全な部外者だ。警備員と交渉したが全く埒があかない。理由は、今年4月このコロンビア大学で、学生らがイスラエルによるガザへの攻撃に抗議して、キャンパス内にテントを張り、建物を占拠、大学側が警察に要請し強制排除した経緯があったからだ。

多くの学生が逮捕された上、退学処分となった。それ以降、大学側は構内への出入りを非常に厳しく制限し、学外者らの入構が不可能になった。

僕が通っていた頃は、近隣の住民らも自由に出入りしていた記憶がある。さらには、この学内でチョムスキーやエイミー・グッドマンらを招いてのディスカッションも活発に行われていた記憶がある。

何という「退歩」だろうか。大学近くにいた何人かの学生らに話を聞いてみた。頭にスカーフをした女子学生が目に留まった。2人ともインドネシアからコロンビア大学に留学中。建築の勉強をしているという。

それで4月にコロンビア大学で起きたことについて聞きたいと言ってみたが、非常に答えにくそうだった。私たちには余裕がないし、イスラム教徒としてそのことを答えることは難しい、と。

これは相当に強烈なトラウマが学内に拡がっていることを暗示しているかのようだった。何だか気分が重くなって大学を後にした。

バスの車窓からは、ニューヨークマラソンを応援する群衆の平和な姿が何度も目に入った。激戦州以外の場所では案外こんな通常の風景なのかもしれない。ここはニューヨークだ。おそらくこの州はハリスの勝利だろう。

文/金平茂紀

写真/shutterstock