兄がひきこもったのは父親のせい⁉
間野さんは美大を卒業後、東京でデザイン会社に就職した。年に2回、親孝行のつもりで帰省したが、機嫌よく話ができるのは初日だけ。2日目になると兄の話になり、将来への不安から父親に苛立ちをぶつけた。
「あんたのせいだろ。兄さんがひきこもった原因はあんただろう!」
間野さんがテーブルを叩きながら父親に詰め寄ると、父親は同じセリフをくり返すばかり。
「お前は心配するな」
父親は教師だった。兄が中学3年、間野さんが幼稚園児のとき小学校の校長になった。父親から「勉強しろ」と厳しく躾けられたことはないのだが、間野さん兄弟は周囲から「校長の息子だから勉強ができて当たり前だ」と思われて、ずっと窮屈な思いをしてきたそうだ。
「僕、リーダーシップ取れないし、協調性ないんですよ(笑)。それなのに、校長の息子だという理由だけで、小学校では学級委員をやらされたんです。兄は中3という微妙な時期じゃないですか。もっと意識せざるを得なかったと思いますよ。だから、無理をして実力以上の進学校を受けて、落ちちゃったんでしょうね」
ひきこもってからは、母親が「ご飯できたよ」とインターホンで呼ぶと2階の自室から降りてくるが、兄は家族の誰とも視線も合わさず下を向いたまま黙って食べて、すぐ自室に戻ってしまう。専業主婦の母親はやさしく愛情深いが自己主張をしない人で、兄のことも父親に任せきりだった。
「教師といっても、自分の子どもの教育どころか、会話もできてねえじゃねえか。そんな父親にいくら『お前は心配するな』と言われても信じられない。父親と母親が死んだら、兄を背負うのは弟の俺だというのはリアルにわかっていたので、どうすりゃいいんだと……。
でも、そうやって自分が心配していることを素直に言えない家庭環境だったんですよ。自分の弱みは見せられないし、本当に言いたいことは子どものころから言えなかった。本心を言えない代わりに、父親を責めたんです。喧嘩をくり返しているうちに、だんだん父親に対する憎悪の気持ちが芽生えてきたんですね」
怒りのあまり父親にブチ切れたのは、間野さんが32歳のときだ。書籍のデザイナーとして独立し、報告を兼ねて意気揚々と帰省したら、父方の親戚が働いていた特定郵便局の職を継げと言われたのだ。
「ひきこもりの兄の将来を考えるとお金が必要だし、僕が独立して稼げば多少は喜んでもらえるかなと思ったのに、唐突に郵便局の話が出てきたんです。僕の仕事を認めてくれてないようにも感じたし、なんかもう、怒りの感情だけが湧きあがって、頭が真っ白になっちゃいましたね。
本当にブチ切れたまんま東京に戻って、そこからはムキになって仕事しました(笑)」