祖父母の前で泣きわめく母
私は幼少期、母から肉体的、精神的、ネグレクトなど、ありとあらゆる虐待を受けて育った。毛布の上から首を絞められて窒息して気を失ったり、水の張ったバスハブに沈められたこともある。
しかし、愛情と承認欲求という強力なアメと、憎悪とネグレクトというムチを変幻自在に使い分け、私を支配していた母にも、見えない傷がある――。そう子ども心に感じたのは、宮崎に引っ越してから数年が経った小学四年生頃だったと思う。
土日の休みや平日の夜――。母はよく私たちを、車で一時間ほどの祖父母の住む実家へと連れて行った。祖父母の家は、宮崎でも過疎地の山の中にあった。
いくつもの山あいを抜け、川を越えると祖父母の住む古民家が見えてくる。私は、このドライブが何よりもお気に入りだった。窓を開けると心地のいい風が頬をかすめ、その先々には瑞々しい雄大な自然が広がっている。
途中、道の駅に立ち寄り、母と共にソフトクリームを食べる。このときだけは、学校や家のあれこれから解放されて、嫌なことを忘れられた。
祖母は私たちがやって来ると、お手製の牡丹餅をつくって、笑顔で迎えてくれた。そして、自慢の美味しい料理をたらふく食べさせてくれた。私は中でも、祖母のつくる甘く煮込んだかぼちゃの煮っころがしが大好きだった。
祖母の手料理は、母と違ってどれも本当に美味しかった。近くにある温泉に入ったり、新興住宅地にはない近くの綺麗な渓流で水遊びをすることもあった。私にとって祖父母と過ごす時間は、まさに癒やしのひとときだった。
祖母は帰り際になるとこそっと、「お母さんには内緒よ。また遊びにおいでね」と言って、私の手に千円札を握らせてくれた。私はそれを母に見つからないように、こっそりとポケットに忍ばせたものだ。
ひたすら優しいおじいちゃんと、おばあちゃん。祖父母に対して私は、そんな思い出しかない。
しかし、どうやら母にとっては違うらしい。祖父母と母の間には、私の知らない「秘密」があるみたいだ。そんなことに気づいたのは、大好きな祖父母と母が激しくいがみ合う様子を頻繁に目撃するようになったからだと思う。私は、それを子ども心に「あれ」と名づけた。
「あれ」が起こるきっかけは、祖父母が何気なく、きょうだいの話題を口にしたときだったように思う。