“90歳ダブルス”で念願の初優勝

「本当にいろんな奇跡がありました。」出発の直前、自宅でソファーにぶつけて足をパンパンに腫らしてしまった。「現地での練習も十分にできませんでした。しかも前日の30分間の練習中、車いすの大事なところが壊れてしまったんです」とにかく応急処置で出場し、1回戦は逆転勝ち。

「でも記録的な暑さで、脱水症状になっちゃいました。医師に診てもらったけど、痩せちゃって..」これらの困難を乗り越えての優勝だった。「2人で抱きあいました。『2人で足して90歳だね。優勝できて本当によかったね』と。まさに最高の瞬間でした」

「人の目が気になったし、恥ずかしかったのでパラ出場は考えていなかった」眞田卓選手の車いすテニスとの出会い_3
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“競技者”として生きるのは人生の1割

昨年、国枝選手が引退した。「これがきっかけで自分にも引退の言葉がよぎり、今このプレーができるのは最後かもしれない、と思うようになりました。そして、競技者としての人生は、人生全体の10%ぐらいだと気づいたんです。だから、それ以外のことにも目を向けたくて、カメラにも挑戦しています」テニス仲間の、競技以外の時の自然な表情を撮るのが楽しいと笑顔を見せる。

14年間プロとして続けてこられた理由も、やはり「楽しさ」だった。「試合に勝てれば単純に嬉しい。ランキングが上の人や2メートル級の選手に勝てればすごく嬉しい。車いすテニスはプロでも一般の人でも健常者でも、誰とでもコミュニティが作れるんです」

チームジャパンの柱として

パリ大会に出場すれば4度目のパラリンピックとなる。「ここまでキャリアを積んで来て、成績は上向いています。これまでより上を狙います!」連戦の影響で肘に怪我も抱えているが、「ここまで逆境が自分を成長させてくれました。

怪我をしたときも、その後さらに強くなってきたんです。だから今の怪我も次のステップに何かよい影響を与えてくれるはずって、期待しています」その目は輝いている。

「国枝さんが引退して、自分が年長者としてチームを引っぱっていく責任も感じます。パリではリーダーとして、チームに貢献したいと思います」若手選手の台頭や技術の進化に、「新しい時代のテニスだ」と感じながらも、自身の14年間の経験と技術でパリパラリンピックに挑む。

その姿には、現代のサムライといった風格が感じられた。

取材・撮影/越智貴雄[カンパラプレス]

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