「初めまして、パラリンピックで金メダルを獲る佐藤です」リオ、東京を経て、パラ陸上の有言実行モンスターがパリで目指すもの_1
すべての画像を見る

“障害者”になった自分が見た「ロンドンパラ」の衝撃

21歳だった2010年、突然倒れて下半身が動かなくなり、左腕にも麻痺が残った。故郷の静岡でも東京の病院でも原因がわからず、「脊髄炎」と診断されるまで1年以上を要した。「病名がわからないと障害者手帳が交付されないし、その状態では就職も難しい。まぁ、絶望ですよね。2012年に診断がおりて、ようやく気持ちのスイッチの切り替えができるようになりました」

これから何をしていこうかと考えていた頃、パソコンでたまたま見たロンドンパラリンピックの映像が運命を大きく変えた。

 「病気になって1年半ぐらい経ったタイミングでした。自分が健常者から“ 障害者”になった。その頃の僕は、障害を持った人に対して“介護の必要な社会的弱者”というマイナスイメージを持っていたので自分の将来にも希望が持てずにいました。そんな中パラリンピックを初めて見た。車いすで陸上競技場を走ってる選手たち、国を代表してその舞台に立っている姿を見て『この人達すげえカッコいいなー』って思ったんです。そして『よっしゃ、次は僕がリオパラリンピックに出て金メダルを獲る』と」

そこからの行動に迷いも無駄もなかった。「まず静岡でパラ陸上やっている人はいないのかなって。NPOの知人に県内で競技している人を紹介してもらいました。レーサー(競技用車いす)を借りる手配をしてもらい、金メダルを獲るためにどうしたらいいのかと、順々に行動していきました」

「初めまして、パラリンピックで金メダルを獲る佐藤です」リオ、東京を経て、パラ陸上の有言実行モンスターがパリで目指すもの_2

「なんで陸上競技かと言うと、“風”を感じられるから。ちょっと走ったりどこかに急いだり。なにげない普段の生活で感じる風を、車いす生活になって忘れてたなって。その“風を切って走る”感覚がレーサーで味わえるので、僕は当時、陸上しか選択肢になかったです」

「初めまして、パラリンピックで金メダルを獲る佐藤です」

初めて大会に出たのは、同年12月のマラソン大会。佐藤はパラリンピック選手である先輩たちに「初めまして。僕、次のリオパラリンピックに出て金メダルを獲る佐藤友祈です。よろしくお願いします」と挨拶した。「今よりも20kg以上太っていたし、初心者だし『なに言ってんだ、こいつ』と。あとから言われましたよ(笑)」。それでも怯むことなく競技用車いす制作会社の人にもこう話しかけた。「リオで金メダルを獲るんで、僕をサポートしてください」

もちろんすぐにサポートは得られなかったが、自身のレーサーがなければ次のステップに進めない。この大会の完走を機に、両親に直談判し最初のレーサーの費用を出してもらった。

 「両親も、僕が病気になって、これから障害者雇用で働いて生活していくことを考えたときに、この子は一人で生きていけるんだろうかと不安を持っていたと思います。だけど、ロンドンパラを見て『ここに到達したら、心配されなくて済むよな』って思ったんです。金メダルを獲れば、親も心配しなくて済むじゃんって」