母が単に鬼のような存在でいてくれたら、どんなによかっただろう
あのとき一番恐ろしかったのは、車がひとえに母のハンドルに委ねられているということだ。この空間から逃げ出すことができない私は、母と運命共同体なのだ。
母の感情に翻弄され、その生死さえも母に決定権がある。そのときの無力感といったら、母から暴力を受けたときに匹敵するほどだったと思う。
それでも私たちはなんとか、九死に一生を得た。それは今思うと、ただの偶然に過ぎな
いと感じる。私が母の虐待を生き延びたのも偶然ならば、母の無理心中で死ななかったのも、偶然なのだ。
私たちは、いつもそうやって命からがら何とか帰路についた。母の運転する車から解放されると、一気に力が抜けたものだ。
家に着くと私たちは、二人とも涙でボロボロだった。さっき起こったことで、まだ心臓の動悸が止まらないのだ。それでも「お母さん、大丈夫?」と声をかけたのは、母がわなわなと震えていたからかもしれない。
「ごめんね。あんなことして、ごめんね」
母は、私を見て再び泣き崩れた。そんなことがあった夜でも母は台所に立ち、うつろな目で夕飯の準備をはじめた。
その頃から、私は母を何としてでも守らなければと思って、ずっと生きてきた気がする。 私が感じたのは、子どものように泣きじゃくる母そのものだ。母には誰も頼れる人がいない。父は到底、頼りにならない。母の悲しみを受けとめる度量はない。
きっと、私しかいない。私しか、いないのだ。母に全身全霊で向き合うことができるのは、私しかいないのだ――。そう強く思った。あのとき、母の「傷」をただただ無心に受けとめていたのは、たった一人、私だけだったのだ、と。
私は、母の凶悪な面と、子どものように泣き崩れる両面を知っている。たとえどんなに命を脅かされようと、母の悲しみがやっぱり私の悲しみのように思えてくるのだ。
母が単に鬼のような存在でいてくれたら、どんなによかっただろう。私は、母の弱さを知っている。苦しさを知っている。
だからこそ、母の呪縛から、この歳まで逃れられなかったのだ。このように母親分析をしてみると、そんな自分と母のアンビバレントな関係性まで浮き彫りになるのがわかる。
私はあのときを振り返って思うことがある。大人になった母も、きっとあのとき、祖父母に「ごめんね」と素直に謝ってもらいたかったのではないか、と。寂しい思いをさせてごめんね、と――。
そうしたら幼い母の魂は少しでも浄化され、癒やされたのではないだろうか。しかし、祖父母はそれを最後まで放棄した。それが結果的に母を暴走させ、無理心中未遂へと駆り立てたのだ。
文/菅野久美子 写真/shutterstock