母が単に鬼のような存在でいてくれたら、どんなによかっただろう

あのとき一番恐ろしかったのは、車がひとえに母のハンドルに委ねられているということだ。この空間から逃げ出すことができない私は、母と運命共同体なのだ。

虐待、家庭内暴力、ネグレクト…毒母との愛憎の背景にあった、祖父母と母「もうひとつの親子の秘密」_4
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母の感情に翻弄され、その生死さえも母に決定権がある。そのときの無力感といったら、母から暴力を受けたときに匹敵するほどだったと思う。

それでも私たちはなんとか、九死に一生を得た。それは今思うと、ただの偶然に過ぎな
いと感じる。私が母の虐待を生き延びたのも偶然ならば、母の無理心中で死ななかったのも、偶然なのだ。

私たちは、いつもそうやって命からがら何とか帰路についた。母の運転する車から解放されると、一気に力が抜けたものだ。

家に着くと私たちは、二人とも涙でボロボロだった。さっき起こったことで、まだ心臓の動悸が止まらないのだ。それでも「お母さん、大丈夫?」と声をかけたのは、母がわなわなと震えていたからかもしれない。

「ごめんね。あんなことして、ごめんね」

母は、私を見て再び泣き崩れた。そんなことがあった夜でも母は台所に立ち、うつろな目で夕飯の準備をはじめた。

その頃から、私は母を何としてでも守らなければと思って、ずっと生きてきた気がする。 私が感じたのは、子どものように泣きじゃくる母そのものだ。母には誰も頼れる人がいない。父は到底、頼りにならない。母の悲しみを受けとめる度量はない。

きっと、私しかいない。私しか、いないのだ。母に全身全霊で向き合うことができるのは、私しかいないのだ――。そう強く思った。あのとき、母の「傷」をただただ無心に受けとめていたのは、たった一人、私だけだったのだ、と。

私は、母の凶悪な面と、子どものように泣き崩れる両面を知っている。たとえどんなに命を脅かされようと、母の悲しみがやっぱり私の悲しみのように思えてくるのだ。

母が単に鬼のような存在でいてくれたら、どんなによかっただろう。私は、母の弱さを知っている。苦しさを知っている。

だからこそ、母の呪縛から、この歳まで逃れられなかったのだ。このように母親分析をしてみると、そんな自分と母のアンビバレントな関係性まで浮き彫りになるのがわかる。

私はあのときを振り返って思うことがある。大人になった母も、きっとあのとき、祖父母に「ごめんね」と素直に謝ってもらいたかったのではないか、と。寂しい思いをさせてごめんね、と――。

そうしたら幼い母の魂は少しでも浄化され、癒やされたのではないだろうか。しかし、祖父母はそれを最後まで放棄した。それが結果的に母を暴走させ、無理心中未遂へと駆り立てたのだ。

文/菅野久美子 写真/shutterstock

母を捨てる
菅野久美子
母を捨てる
2024/2/29
1,760円(税込)
256ページ
ISBN: 978-4833425261

虐待、いじめ、家庭内暴力、無理心中未遂
毒母との38 年の愛憎を描いた壮絶ノンフィクション

私は何度も何度も、母に殺された――。 
私の頭には、いつも母があった。
しかし、母と縁を切ってからは、自由になれた。

ノンフィクション作家である著者は、かつて実の母から虐待を受けていた。

教育虐待、折檻、無理心中未遂 。肉体的、精神的ネグレクトなど、あらゆる虐待を受けながら、母を殺したいほど憎むと同時に、ずっと「母に認めてもらいたい」という呪縛に囚われてきた。

その呪いは大人になってからも著者を縛り、ノンフィクション作家となって孤独死の現場を取材するようになったのも、子どもの頃の母の虐待が根源にあることに気づく。

そこで見たのは、自信と同じように親に苦しめられた人たちの“生きづらさの痕跡”だった 。

虐待サバイバーの著者が、親の呪縛から逃れるため、人生を賭けて「母を捨てる」までの軌跡を描いた壮絶ノンフィクション。

【目次】 
プロローグ

◆第一章 光の監獄
・私は何度も何度も、母に「殺された」 
・無限に続く処刑のループ
・風呂場の白い光

◆第二章 打ち上げ花火
・四歳の殺人未遂
・教育虐待
・母の「トクベツ」になれた日
・天才のふりをしたピエロ

◆第三章 機能不全家族
・台風の夜のドライブ
・人生が二度あれば
・新興宗教にハマった母
・母の発狂と声なき叫び

◆第四章 スクールカースト最底辺
・クラス全員からのいじめ
・引きこもりのはじまり
・母の首を絞めた日
・不在の父の癇癪

◆第五章 金属のカプセル
・酒鬼薔薇聖斗は私だったかもしれない
・『エヴァ』シンジとのシンクロ
・たった一人の卒業式
・五〇〇円のミニスカート

◆第六章 母の見えない傷
・母が父に見た「かつての自分」 
・結婚という牢獄
・無理心中未遂
・ハルキストの父

◆第七章 性と死
・衣装箪笥の悪夢
・SMと母への思い
・「普通の人生」を生きたかった
・孤独死と私の共通点

◆第八章 母を捨てる
・毒親の最期を押しつけられる子どもたち
・「家族代行ビジネス」の仕掛け人になる
・母とストリップ劇場に行く
・母が私に遺してくれたもの

エピローグ 私の中の少女へ

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