無理心中未遂
母は癇癪を起こしても、しばらく経つとそれを忘れたかのように、再び祖父母の家を訪ねた。そしてそのたびに、「あれ」は幾度となく繰り返された。それは、大人になっても母が、「祖父母の愛」を求めてさまよっていたからなのではないかと思う。
「あれ」が起きたとき、私は心が引き裂かれそうになった。「あれ」が起こると、どうしたらいいのかわからなくなる。私はただただ母につられて涙ぐむしかない。
母の悲しみが、激情が、私の心に伝染する。晴れていた空に突然、雲が立ち込め、真っ暗になる感覚。そんな母を前に、子どもの私は戸惑うばかりだった。
今日はあれが、起こりませんように――と。私は、いつも願っていた。
「あれ」さえなければ、楽しい時間を祖父母と過ごせるのだ。しかし、そんな願いも空しく、それはときたま、いや頻繁に起こった。
考えてみれば、私が生まれたときから、祖父母はいつも優しかった。母が私につらく当たっても、いつも優しく慰めてくれたのは祖父母だった。
それなのに、母の「あれ」が起こると激しい罵り合いとなり、祖父母もそれに応戦するのだ。大声を上げて罵倒しているのだ。子どもである私には、何が何やらわからなかった。
「あれ」が起こった帰り道は、いつも恐怖に打ち震えていた。それは、母が無理心中を図ろうとするからだ。間一髪で、子どもである私に命の危険がおよびかけたのだ。
「もう、お母さん、死ぬ! このまま 死んでやるっちゃが! どうなってもいいっちゃが。あんたたちも、みんないっしょに死ぬんだからね!」
母は、そう絶叫しながら突然、真っ暗な夜道でハンドルをジグザグに切った。
体を激しく打ちつけられるような、すさまじい衝撃。車が白線を越えて、対向車線に飛び出す。目の前の対向車から時折鳴らされる「ビーーーー」という、聞いたこともない異常な連続したクラクションの音。迫りくるガードレール。いまだにあのときの恐怖は、忘れることができない。
「お母さん、やめて! お願いだから、やめて! 怖いよ! 死にたくない! 死にたくないよ!」
私は叫び、泣きわめいた。弟が車に乗っていたときもあった。弟も泣いていたと思う。私は、小さな弟を抱きしめた。
とにかく怖くて、怖くてたまらなかった。母の幼少期の行き場のない哀しみは、私たちを道連れにして、命さえも奪うほどの強烈なものだったのだ。