時代を先走りすぎた父親が店に導入したもの

お店の自慢料理……って、そういうタイプの店じゃないんですよね。どっちかといえば、近隣のサラリーマンとか、工場の人がふらっと立ち寄ってなごむような場所で、なにか特別な名物料理みたいなものはなかったな。客足が途絶えなかったのは、お酒が呑めるお店がまわりに少なかったせいなのかもしれません。

料理で思い出すのは、生姜焼き定食。たまに、自室がある二階からお店へおりてくると、親父が「なんだ、腹減ってるんなら、めし食うか?」って、必ず生姜焼きをつくってくれる。

生姜焼き定食のイメージ 写真/Shutterstock.
生姜焼き定食のイメージ 写真/Shutterstock.

厨房の隅の方で食べるんだけど、それがかなりしょっぱいんですよ。塩っ辛い。たぶん、お酒を飲む人にとってはちょうどいいんだろうけど、子どもの口にはからくて、からくて。で、そのぶん、白いご飯が進む。そのメニューがでると、いつもご飯をおかわりしていた。

あれは、いつだったかな。ぼくが幼稚園に通っているぐらいの時に、お店にジュークボックスがきたんです。親父は特別、音楽が好きな人じゃなかったと思うけど、当時から山師みたいな商才があったんでしょうね。テーブル6つに、杉の木の一枚板のカウンターがあるようなお店にジュークボックスだから、これでピンボールでもあれば、飯倉の「ラブホテル鹿鳴館」みたいな感じですよ、喩えていえば。

当時、サザンオールスターズがデビューした頃で、お店が開店する前を見計らって、ジュークボックスの前に行っては、親父に100 円もらうんです。それでもう、何度も『勝手にシンドバッド』を聴いてましたよ。自分でも何度も何度も、まあよく飽きずに聴いたと思います。YouTube で簡単に聴ける今の時代には信じられないでしょ、一曲を聴く度にお金を払うなんてね。

それからしばらくして、今度はカラオケを導入したんです。これもまぁ、先見の明というか、時代を先走り過ぎですよ。世の中に、カラオケっていうものが浸透する遥か前ですから。当時はまだ、流しとか生演奏が主流で、70年代後半の頃まではそうでした。

カセットテープみたいな形のカートリッジにカラオケが入ってるのかな。それを本体にさし込むと、曲が流れ出すようなマシン。やっぱり、高価だったからなのか、一度も歌わせてもらえなかったですね。

このカラオケで思い出に残っているのは、二階の部屋でぼくらが寝てると、酔っ払ったおじさんのがなり声が響いてくるんです。これにもう、腹がたってね(笑)。ビートルズやローリング・ストーンズならいいけど、結局、殿さまキングスとかぴんから兄弟でしょ。

こども心に「『女の操』ってなんだろう?」って好奇心が収まらず、「お母さん、みさおってなに?」って、母親に聞いたりしてね。
母親も機転のきく人だから、「いさお伯父さんの下に、フィリピンで戦死したみさお伯父さんっていう帝大に通ってた頭のいい子がいてね……」とか言って涙ぐむんですよ(笑)。

で、歳の離れたいさお伯父さんも初めて聞いたけど、母親には「みさお伯父さん」っていう帝大の秀才もいて、学徒出陣でフィリピンで戦死したっていう話はかなり後まで信じていましたよ(笑)。