12月13日に「事始め」を行う理由は赤穂浪士?

毎年、ひと足早く新年の挨拶を済ませる「事始め」を行うのは六代目山口組だ。今年も12月13日に静岡県浜松市の國領屋(こくりょうや)一家の事務所で、その式が開催された。当日は警護の組員らが事務所の門前に並び、捜査員50人ほどが警戒にあたるなか、六代目山口組の司忍組長や高山清司若頭をはじめ、直参と呼ばれる直系の組長らが全国から集まった。その数は約50人とも。

六代目山口組の高山清司若頭(2021年9月 写真/共同通信社)
六代目山口組の高山清司若頭(2021年9月 写真/共同通信社)
すべての画像を見る

二次団体である國領屋一家の事務所で事始めが行われたのには理由がある。六代目山口組は山口組の分裂抗争で特定抗争指定暴力団に指定され、総本部のある神戸市も、六代目山口組の司忍組長の出身母体・弘道会がある名古屋市も警戒区域となり、どちらの事務所も使えないためだ。

事始めが12月13日に行われるようになったのには、いくつか説がある。よくいわれるのは旧暦からの習わしという説。12月13日は旧暦で鬼宿日(きしゅくび)という吉日にあたり、この日から物事を始めるのがよいとされ、「正月事始め」とも呼ばれてきた。

そのためこの日は山口組だけでなく、京都・祇園でも事始めが行われる。祇園の花街では迎春の支度を始める恒例行事となっており、着物姿の芸妓や舞妓たちがお茶屋などに新年の挨拶に回る。

実際、ヤクザの中には伝統的にテキヤ商売を行ってきた組もあり、年末年始は全国各地の神社などで露店を開く。毎年ある有名な神社で、関係者らに露店を開かせている某暴力団幹部はこう話す。

※写真はイメージです
※写真はイメージです

「年末年始はかき入れ時で、自分が店に立たずとも店を見て回らなければならない。そのタイミングで新年の挨拶回りに出向くのは難しい。だから事始め式で新年の挨拶をすませてしまえるのは都合がいい」

また、忠臣蔵として有名な赤穂浪士による吉良邸討ち入りの日に由来して12月13日になったと話す暴力団関係者もいる。浅野家の家臣だった赤穂浪士四十七士が、主君の無念を晴らすため、本所松坂町の吉良邸に討ち入りしたのは1702年12月14日(旧暦)だが、この準備を始めたのが12月13日。関係者は「赤穂浪士による仇討ちや討ち入りは、ヤクザにとって義のためには命を惜しまないという任侠に通じるのだろう」と話す。