悩みはいつか「かかけがえのない時間だった」と思えるか
休日の前、昼どきから友だちと誰かの家に集まって、食事や酒を楽しみ、床やソファで雑魚寝して、朝になったらみんなでコンビニやファミレスに行って…そんな時間がかつて僕の人生にもあった。
ああ楽しかったと特になんの感慨もなく手を振り合い、それぞれ帰途につく。何週間か後にはまた当たり前のようにこんな日がやってくると思っている。
実際それからも何度かそんな機会は訪れるのだけれど、だんだんと間隔が開いていく。朝までダラダラしていたヤツが終電前に帰るようになる。いつしか参加者が減り、終わりがけに誰かが「またこのメンバーで集まりたいね」なんて言う。たいていそれが終わりの合図で、気がつけばSNSで近況を知るだけの関係になっていたりする。昔みたいにいかなくなる。
1日が24時間なのは平等だとよく聞くけれど、みんな同じ速度で日々を歩んでるわけではないのだ。
出会い、別れ、結婚、出産、就職、出世、転職、実家のアレコレ、いいことも悪いことも、さまざまなイベントがそれぞれのタイミングで起こる。それによって趣味や考え方が変化していくこともあるし、行動範囲も変わる。そしてなんの変化もない後ろめたさで、誰とも会いたくなくなるケースもある。
いつかは会わなくなってしまう数人が、ほんの束の間、同じ時間と場所にいただけ。そのかけがえのなさがわかるのは、いつもそこを通り過ぎた後だ。
薄毛という少し早めのタイミングで来てしまった老いに悩んでいるこの時間も、いつか「ほんの束の間の、かけがえのない時間だったなァ…」となつかしく振り返る日が来るといいのだけれど。
文/トリバタケハルノブ