窓に映ってる素顔をほめろ!

鏡に映る自分の姿を見るのが嫌になったのはいつからだったっけ。

集英社オンラインの連載『東京ハゲかけ日和』で登場するハルオが、深夜風呂上がりに洗面台の前で髪の毛を乾かすコマを描きつつ考えた。思春期の頃は、むしろ鏡ばかり見ていると家族に指摘され、赤面することもあった気がする。それは若き自分のイケメンさにウットリしていた…ということではもちろんない。

〈目が二重だったらよかったのに〉とか、〈もう少し鼻が高ければ〉とか、〈吹き出物が早く治らないかな〉とか、つまりは理想の自分と現実の自分を見比べてため息をつくようなことばかりで、あまり楽しい時間ではなかったはず。それでも朝に顔を洗うときなど、しょっちゅう鏡を眺めていた。

大人になるにつれ、必要以上に鏡を見ることはなくなったけれど、30代にさしかかる頃、夜の電車に乗っていて、不意にガラス窓に映った自分の顔に驚いたことがあった。あまりにも「オジサン」! 今朝、ヒゲを剃ったとき鏡で見た顔とぜんぜん違う!

後にこれは光の加減のせいだと知った。つまりは明るい電車の中で夜の暗いガラス窓に顔が映ることで、目の下のクマや顔の凹凸の影が強調されるのだそう。逆に言えば、ふだん洗面台の鏡で見ている自分の顔は、蛍光灯の強い光を受け、本来の自分よりよく見えるということだ。ともかくそのギャップにギョッとしたのだった。

そして何年か前、本来の自分よりよく見えるはずの洗面台の鏡に映る自分の顔が、あの夜、電車のガラス窓に映った顔になった日があった。老いがやってきたのである。となれば外で第三者の目に映る自分の顔は推して知るべしで、鏡を見るのが嫌になったのはそのあたりからかもしれない。

若い頃、鏡に映る自分にがっかりしつつも「もっとこうだったら」と思うのは、まだ見ぬ理想の自分について考えることだった。顔の造作や髪型のほかに、見ようとしているものがあった。いつしか「もっとこうだったら」が「こんなはずじゃなかった」に変わった。

そこには外見以外のものもいろいろ映っている。だから風呂上がりは下を向いて髪を乾かすし、朝は薄目でヒゲを剃る。外出前は手早く両サイドの髪をセンターに集める。少しでも早く、鏡の前から立ち去りたい。

しかし世間には、薄毛になろうが白髪になろうが顔にシワができようが、シブくてかっこいい先輩方もたくさんいらっしゃる。少しでもそこに近づくには、この先どういう時間を過ごせばよいのだろう。

まずは現実を直視することから? なかなか勇気のいることです。