伝説を生む歌と踊りの地名

北陸道に親不知という難所がある。古くから知られた天険で、北アルプスから続く山並みがそのまま海に落ち込むような地形だから、絵に描いたような断崖絶壁だ。このため近代に入ってトンネルができるまで、旅行者は断崖下の浜辺で海の様子を観察し、波が引いた隙に駆け抜けたという。とてもでないけれど、同行する親のことを構っている余裕もないことから親不知の名が付いた。

このエピソードはよく知られているが、北陸本線(最近「えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン」に変わった)の親不知駅の所在地が「歌」であることはあまり知られていない。正確には新潟県糸魚川市大字歌である。明治22年(1889)の町村制施行の以前は歌村であった。その後は西頸城郡歌外波村、青海町を経て平成17年(2005)から糸魚川市の大字である。

半世紀近く前の子どもの頃にここを列車で通った時には、目の前を遮る北陸自動車道の高架橋もまだなく、集落の屋根瓦が雨に黒光りしていたものだ。地形図に描かれた等高線の詰まった険しい地形の中に置かれた「歌」の文字も印象的だったが、この珍しい地名の由来は、『角川日本地名大辞典』によれば「聖徳太子が愛馬に乗り跡見市兵衛とともに駒返しから都へ返し、歌川を渡り大岩に歌を彫りつけたことによる」と伝えられるそうだ。おそらく地名を元に後から考え出した物語だろう。

狭い谷に沿って30軒(宝暦11年〔1761〕)ほどの家が身を寄せ合う小村であったが、百万石で知られる加賀藩の参勤交代の2000から4000人ともいわれる大人数の対応を行うのはさぞ大変な仕事だったに違いない。庄屋の七郎右衛門が兼ねていた本陣が加賀藩に拝借金を願い出たこともあったという。

単独で「歌」という地名はこの親不知だけだが、歌の付く地名は意外に多い。北海道にはそれが目立ち、市になっているものでは歌志内市がある。明治大正期に相次いで炭鉱が稼働を開始、炭都として繁栄して人口は4万人台まで増加したが、エネルギー革命後は人口流出の一方で、久しく「日本で最も人口が少ない市」として最少記録を更新し続けている。

令和5年(2023)9月末には2701人となった。歌志内という地名はアイヌ語由来で、「砂のある川」を意味するオタ・ウシュ・ナイに文字を当てたものである。ちなみに隣接する砂川市はこの川の名を和訳したものだ。ついでながら道北の旧歌登町(現枝幸町)は「砂の山」を意味するオタ・ヌプリに字を当てたものである。道内で歌に近い新地名を紹介しよう。札幌市の北東側に隣接する江別市の東端近くにある「豊幌はみんぐ町」。函館本線豊幌駅に近い新興住宅地で、元は「豊幌」の一部であったが、ネットの情報によれば、「はみんぐ公園」に由来して決めたらしい。

北海道でなくても当て字らしき「歌」の地名は多い。山梨市の歌田は中世には宇多田郷と称し、『角川』によれば「湿地を意味する淖田が転じた」ものだとしているし、神奈川県平塚市を流れる歌川も泥田や湿地のウタから来ているという。瀬戸大橋の南詰にあたる香川県の宇多津町は鵜足郡の港を意味するが、かつては歌津とも表記した。阿野郡と鵜足郡が明治32年(1899)に合併したのが現在の綾歌郡で、ここで「歌」の字が復活している。

歌舞伎劇場がないのになぜ歌舞伎町? 北陸道の過酷な要所はなぜ親不知? 歴史や伝説が生み出した地名の秘密_4
古来北陸道随一の難所として知られた断崖絶壁の親不知。北陸本線(現えちごトキめき鉄道)親不知駅の所在地は「糸魚川市歌」という大字である。1:50,000「泊」昭和34年修正