「令和」の町名も誕生
元号が令和に替わって早くも5年目であるが、東京湾の埋立地に「令和島」という町名が誕生した。大田区のプレスリリースによれば、新設される町区域は令和島一丁目と同二丁目。
名称は一般公募をもとに選ばれ、令和2年(2020)6月1日に施行されている。中央防波堤埋立地は廃棄物(内側埋立地)および浚渫土・建設発生土(外側埋立地)の処分地であるが、その帰属をめぐっては江東区と激しい「争奪戦」があった。このうち外側埋立地の西側にあたる大田区側のエリアがこの町名である。
元号にちなむ地名は言うまでもなく多数命名されている。国土地理院の「地理院地図」で検索すれば、30年続いた元号の「平成」のつく地名はいつの間にかずいぶん増えた。
その町名を北から順に挙げれば、山形県鶴岡市平成町(平成9年)、仙台市宮城野区平成(同3年)、新潟市南区平成町(同2年)、福島県いわき市平成(同10年)などと続き、長崎県島原市平成町(同8年)、熊本市南区平成(同3年)、熊本県八代市日奈久平成町(同3年)まで30か所以上にのぼる。思えば平成の元号が誕生した時には岐阜県武儀町(現関市)の平成(へなり)という山間の小集落のみだったから、今後も令和の地名が続々と増えるのかもしれない。
その先代以前である明治・大正・昭和の地名はもちろん全国各地に多く、まずは「明治の大合併」である町村制が施行された明治22年(1889)に自治体名である明治村が全国に20か所も誕生した。その後は同24年に栃木県に1村、同39年に愛知県が独自の2度目の大合併を行った際には2村が追加されている。
合併した際に村名を決めるのに難航した地域で「明治」は便利に使われた。その後の合併で現存する明治村はないが、小学校名や地区名として用いられているところもある。
市内の「明治町」も多いが、意外に大正以降に命名されたものが多いのは、明治の時代を懐かしんだからであろうか。鳥取県米子市明治町は明治末の鉄道開通で発展した地域であることにちなんで昭和10年(1935)に登場したものだし、隣の境港市の明治町も明治期に開通した県道が地域発展の端緒になったことにより大正15年(1926)に設置された。
北海道根室市明治町は昭和41年(1966)という新しい例だが、これは市民からの公募で選ばれたもので「明治乳業の牧場」にちなむから、厳密には元号地名ではない。
大正は大阪市の大正区が知名度では最も高いだろうか。これも大正が終わった後の昭和7年(1932)に港区の一部を分割して誕生したもので、西成区との境を成す木津川に架かる大正橋(大正4年竣工)にちなんだ。住民に区名を募集した際には「大正橋区」が多かったというが、長すぎるとして大正区に落ち着いたという。橋のすぐ近くには大阪環状線の大正駅もあるが、昭和36年(1961)開業と新しい。
大正駅としてずっと古かったのは北海道の国鉄広尾線にあった大正駅で、こちらは昭和4年(1929)に開業している。地元の大正村(現帯広市)は大正4年(1915)の合併時に命名された。ちなみにその隣は幸福駅であったが、広尾線はJR北海道の発足2か月前の昭和62年(1987)2月2日に廃止されている。