中2で家にひきこもり、暴れるように
不登校になったのは中学2年生のときだ。成長期を迎えてアトピー性皮膚炎が急激に悪化。運動をして汗をかくと、全身に水疱ができたり皮膚がはがれたりしてしまい、体育ができなくなったことがきっかけだった。
最初はスクールカウンセラー室に登校していたが、しだいにそこにも行けなくなり、家にひきこもった。しばらくすると、家庭内暴力が止まらなくなる。
「親に対してじゃなく、物に暴力をふるう感じですね。壁を蹴ったりとか。だいぶ精神的にも落ちてしまって、親としても家に置いておけないと思ったみたいですね」
そこまで追い込まれて、やっと親も動いたのだが、事態は改善されるどころか、悪くなる一方だった。
最初に、母親に連れて行かれたのは、素人が副業でやっているようなひきこもりの相談所だった。
「精神的に一番落ち込んでいるときに、『親の気持ちを考えたことあんのか』みたいな説教をコンコンとされて。しかも、向こうは説教する人とスタッフと母親だから、3対1ですよ。泣きながら帰った記憶があります」
次に、両親に車に乗せられて向かったのは、不登校児や精神疾患の子どもの治療にあたる精神科病院だった。最初から入院を前提に話が進んでいたのか、医師の診察を受けて、そのまま入院させられそうになった。
だが、小川さんは頑なに拒否。結局、入院はせず帰途に着いたが、自宅近くの警察署が見えると、母親がヒステリーを起こして怒鳴った。
「入院するか警察に行くか選んで! このまま家にいさせられない!」
警察署に向かってハンドルを切りそうになったので、小川さんは車のドアを開けて自ら飛び降り、家まで歩いて帰った。
「ああ、完全に見放されたって思いましたね。当時は母親もいっぱいいっぱいだったんだと、今ならわかりますが……」
自分の部屋に誰も入って来られないように、洋服ダンスやガムテープでバリケードを作って、立てこもったこともある。
「あのときは、ひきこもりを無理やり連れ出して施設などに収容する引き出し業者がニュースやワイドショーで話題になっていて、それを恐れていたんです。もし、自分も連れて行かれそうになったら、刺し違えるつもりで包丁を隠し持っていました」
3年生では1日も登校しないまま、中学を卒業した。