まるでモハメド・アリのように

さて、ほとんど同じように編まれた『怪物に出会った日』(森合)と『対角線上のモハメド・アリ』(ブラント)だが、読後感は大いに異なっている。それは、敗れた者が過ごした人生の目方に左右されているのかもしれない。

アリが引退したのは、1981年。『対角線上の~』が生まれるまでには約20年の月日が流れている。アリが、カシアス・クレイとしてプロボクサーになったのは1960年なので、そこから考えれば40年以上だ。

同書で、先陣を切るタニー・ハンセーカー(プロ初戦の相手)は、いきなり叫ぶ。〈象みたいなあんたの足をテーブルからどけな!〉【3】。ブラントの取材時、72歳になっていたタニーは、ずいぶん前から認知症が進行していた。

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アリに初めて黒星をつけたジョー・フレージャーは、「聖人」の椅子をものにしたカシアス・クレイがパーキンソン病に苦しめられるのは「神の思し召し」だと決めつけた。その態度を導いたのは、ほかならぬアリ自身の仕打ちである。

〈アリは、フレージャーのことを醜いと言った(…)さらに、アリも同じように軍隊の適正テストで落第したにもかかわらず、フレージャーのことを愚かで無知だとあざけった。ついには愚かさと無知を重ね合わせ“ゴリラ”というニックネームをフレージャーに与えたのだった。想像できる限り、最も典型的な人種差別の響きを持ったニックネームだ〉【3】

さて、フレージャーの言葉を続けよう。

〈神様があいつのへらず口に疲れてしまったんだ。『我こそは、唯一無二の』なんて言うから(…)リングの中でアリは、俺に向かって自分は神だと言った。俺は、あいつにこう言った。『今夜のお前さんは、間違った場所に来ちまったんだ』って。するとあいつはまた『ジョー・フレージャーよ。俺は神だ』って、言ったんだ。だから、俺は言った。『分かったよ、神様。でも今夜のあんたは、ケツ鞭打ちの刑にされるんだぜ』ってね〉【3】

この日――1971年3月8日、フレージャーはダウンを奪い、アリに勝利した。つまり、これが「物語」というやつだ【4】。

モハメド・アリは、自分自身で「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と喧伝したフットワークとハンドスピードでへビー級のボクシングに新たな風を吹き込んだが、増田茂は〈ボクサー型としてのアリのスタイルは、必ずしも完成度の高いものではなかった〉【5】と評している。

〈フットワークは縦にハネすぎで腰が据わらず、ジャブや右クロスは最終的な照準の絞り込みが甘かった。得意のサークリングは左回りに偏り、左斜め後方へのスウェイバックばかりだった〉【5】