人生の最優先事項がお金になったきっかけ
金の切れ目が縁の切れ目、と捉えていい?
「まあ、そう思われるのは仕方ないと思います。ただ彼の方も、若い私を巻き添えにするのは心苦しいって気持ちもあったみたいです。話し合いはすんなり進んで、あっという間に離婚が成立して、慰謝料、私たちの場合は解決金という形なんですけど、それも貰えたので彼のことは恨んでいません。派手な世界の人だったけれど、今思えば、いい人だったんだと思えます」
その時の金額を聞いていい?
「500万です。8か月の結婚生活でしたから、まあ、仕方ないですよね」
仕方ない、という言葉がふさわしいかどうかは疑問だが、円満に片が付いたのだからよしとしよう。
なぜ彼女にとって人生の最優先事項がお金になったのだろう。もしかしたら育った環境にあるのだろうか。子供の頃にお金で苦労すると、その苦い経験だけは繰り返したくないと、お金に執着するケースもあると聞く。
「いえ、別に私、家が貧しかったというわけではないんですよ」
大きい瞳を瞬きさせながら、彼女は言った。
「父は総合商社に勤めています。母は専業主婦で、4歳違いの姉と2人姉妹です。小さい頃から、ピアノ、バレエ、お習字、水泳、学習塾などひととおり習い事をさせてもらいました。父の方針で中学までは公立に、高校は私立大学の付属校に行って、大学はそのまま進学しました。高校と大学ではチアリーディング部に所属し、映画が大好きだったので映画研究会にも所属していました。ピアノもずっと続けていて、父は家族のためにたくさん稼いでくれていましたし、地元に少し土地もありますので、お金に困ったことはありません」
少々皮肉も込めて言わせてもらうが、文旬の付けようのないお嬢さんである。お小遣いもさぞかしたっぷり貰っていたのだろう。
お小遣いをもらったことがない、総合商社マンのお嬢さん
「いえ、私、お小遣いをもらったことがないんです。高校卒業まで、お金が必要な時はその度に母に報告して、必要な金額だけを貰い、領収書と共におつりは全額返す約束でした。父が家族のために稼いできた大切なお金なので、当然のことです。アルバイトも禁止だったので、基本的に自由に使えるお金はありません。大学入学後はアルバイトを始めましたけど、学業優先ということで、月に3万までという約束を守りました。
彼氏ですか?ええ、人並程度にはいました。ただ、デートの時、お店で彼が支払ってくれる度に、なんだか落ち着かなくなるんです。私、奢られるのも奢るのも好きじゃないんです。人として対等であるためにも、お金のことはきっちりしていたいんです。周りの女の子は、彼にどれだけ貢がせるかなんてことで競っていましたけど、私はくだらないって思っていました」
話を聞いて、ちょっとイメージが変わってしまった。彼女のような女性は、男が払うのが当たり前、と考えるタイプだと思っていた。どうやら私自身が、先入観に捕らわれていたようだ。
ただ、彼女の言い分は潔いようにも感じるが、何においても相手と対等であろうとするスタンスは、時として対立を際立たせる。対等を、お金で測っているところも危うい。お金がないことは負けなのだと、彼女自身が最初から決めつけているようにも感じられる。
「卒業後はCM制作会社に就職しました。そういう職種って華やかそうに見られがちですけど、仕事は地味だし、お給料もそんなにいいわけじゃないんですよ。でも、初めてお給料をもらった時は感動しました。今までがぎりぎりだったから、こんなにたくさん自由になるお金を手に入れられるのかって。だからって無駄遣いはしません。ブランド物にも興味はないし、服だってネットで買うものばかり。質素が身についていますから」
この金銭感覚はどこから生まれたのだろう。
「強いて言うなら姉でしょうか。4つ年上の姉は、私より美人で勉強もできるし、一流大学から一流企業に就職しました。でも昔からお金にルーズっていうか、あればあるだけ遣ってしまうタイプなんです。学生の時からいいように友人に奢らされているのに『ある者が払えばいいのよ』って伝票を手にするんです。そういう人って、駄目な人間ばかりが群がってくるんですね。
男も同じです。お金目当てなのに『私が何とかしてあげなくちゃ』って。結局、ろくでなしの男に引っ掛かってばかり。フリーターとか売れない役者とかミュージシャンとかにはまって貢いでた時もあるんですよ。男を見る目がからっきしないんです。結局、結婚した相手も生活力のまったくない男で、今はヒモみたいになっています。男って甘やかされるとどんどん付け上がる生き物じゃないですか。今も姉は朝から夜遅くまで働いていて、子供が欲しいなんて言ってますけど、その状態で産めるわけがないし、もともと、生まれたらどう育ててゆくかなんてぜんぜん考えてないんです。ただ呑気に夢見ているだけ。そんな姉を見ているから、自分は絶対に経済カのない男だけは選ばないって決めていました」