「大変な人生になると思うけれど、強く生きてほしい」
出産後、医師からは入院を勧められたが、イスラさんは出血が収まるまで病室で休んでから、夜10時ごろに避難先の家に戻った。夜間に移動するのは安全とはいえないが、病院で爆撃に遭う危険のほうが高いと感じたためだ。
ガザ地区では、この1か月で病院も「危険な場所」とみなされるようになった。実はイスラさんが出産した日も、北部の「トルコ・パレスチナ友好病院」が空爆によって深刻な被害を受けている。この病院は、ガザで唯一がん治療を提供している病院だったが、燃料不足と攻撃の影響ですでに診療を停止していた。10月17日には北部の別の病院で爆撃があり、患者や避難者ら数百人が死亡している。
こうした背景から、イスラさんも病院にいる間は気が気でなかったという。家に着くまでの道は真っ暗で人影もなく、不気味な雰囲気に包まれていたが、避難先の家に帰ると同居する他の約60人の親族も新しい命の誕生を心から喜んでくれた。
赤ちゃんには、イスラム教で信心深い意味を持つ「マリアム」という名前にちなんで「マリア」と名付けた。
「わたし自身、3年前にスコットランドで国際経営の修士課程を終えたところ。欧米諸国でも通用する名前としてマリアを選びました。これから大変な人生になると思うけれど、強く生きてほしいと願っています」(イスラさん)
こんな過酷な状況で出産を終えたイスラさんだが、実はイスラさん自身も病院ではなく自宅で誕生した経験を持つ。1990年、イスラさんが生まれた当時もガザの情勢は悪く、住民に対して夜間外出禁止令が発令されていた。そんななか、イスラさんの母親は陣痛に見舞われ、やむを得ず自宅で出産することになったという。
「マリアを見ると、イスラを産んだ当時を思い出します。離れて暮らしていた母(イスラさんの祖母)は助けに来れず、隣に住む住民にこっそり駆けつけてもらいました。イスラは4000グラムほどあったので、出産は本当に大変で危険を伴うものでした」
イスラさんの母は、当時をそう振り返る。
「あれから33年経った今、状況は変わらないどころか悪くなっています。でも私は、病院で出産できただけでも幸せ。マリアは、大変な環境で生まれ育った私から、さらに過酷な状況下で生まれてきてくれました」(イスラさん)