狂犬病ワクチンを生み出した救世主

毎年9月28日は、「世界狂犬病デー」として世界各国で啓発イベントが開催されている。この日は、パストゥールの命日である。

19世紀後半、パストゥールは、かつてのジェンナーと同様の方法で病気を予防したいと考えていた。ただし、ジェンナーの用いた牛痘(ぎゅうとう)のように似た病気を利用するのではなく、人為的にワクチンを生成したい。その願いは一つの偶然によって実現した。

1879年、パストゥールは家禽コレラという細菌感染症の研究をしていた(7)。家禽コレラとは、鳥類に感染し、70パーセント以上を死に至らしめる家畜の病気だ(8)。パストゥールは、家禽コレラの原因菌をニワトリに注射し、病気の進行を記録していた。

ある日彼は、ニワトリに細菌を注射するよう助手に指示し、休暇に入った。ところが、助手はこの指示をすっかり忘れ、注射をしたのは1カ月も経ってからであった(9)。このミスが予想外の発見につながった。致死的だったはずの細菌は、軽い症状を呈する程度まで弱毒化しており、かつニワトリは家禽コレラに免疫を獲得したのである。

人為的に病原体から感染力を奪い、これを人に注射することで免疫のみを獲得させる。まさにこれこそが、現代まで続くワクチンの概念そのものであった。

パストゥールが次に目をつけたのが、狂犬病だった。パリで狂犬病のイヌが増えているのを懸念した獣医師が、彼に研究を依頼したのだ。

パストゥールは、家禽コレラと同様に病原体の弱毒化を試みた。用いたのはウサギの脊髄だ。狂犬病に感染させたウサギの脊髄を乾燥させることで、病原性はほとんど失われ、かつ発症を予防できるワクチンが生み出されたのである。

当時、ウイルスの存在はまだ知られていなかった。それでもパストゥールは、細菌よりはるかに小さい何らかの病原体が狂犬病を引き起こしていると予想した。天才の直感が証明されるのは、彼の死後、ウイルスを観察できる電子顕微鏡が発明されてからである。

1885年、パストゥールは狂犬病のイヌに嚙まれた9歳の少年にワクチン接種を行い、少年は一命をとりとめた。まさに奇跡的な出来事であった。その後、何百人もの人が狂犬病ワクチンによって救われ、その成果は世界に大きな衝撃を与えた。

狂犬病ワクチンの開発を契機にパストゥールのもとには莫大な寄付が集まり、1887年、この基金をもとに研究所が設立された。これが今パリにあるパストゥール研究所である。

狂犬病から真に安全な場所は世界で6地域だけ。発症したら100%死亡する恐ろしい感染症と現代まで続くワクチンの概念とは_3
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パストゥールが初めて築いたワクチンの概念は、免疫学に大きな影響を与え、ジフテリア、ペスト、麻疹など、致命的な病気に対するワクチンが次々とつくられたのである。


【参考文献】
(1) Guiness World Records「Highest mortality rate (non-inherited disease)」 (https://www.guinnessworldrecords.com/world-records/640123-highest-mortality-rate-non-inherited-disease)
(2) 厚生労働省「狂犬病」(https://www.mhlw.go.jp/bunya/kenkou/kekkaku-kansenshou10/)
(3) 動物検疫所「指定地域(農林水産大臣が指定する狂犬病の清浄国・地域)」 (https://www.maff.go.jp/aqs/animal/dog/rabies-free.html)
(4) 動物検疫所「犬、猫を輸入するには」(https://www.maff.go.jp/aqs/animal/dog/import-index.html)
(5) 〝わが国における犬の狂犬病の流行と防疫の歴史〟唐仁原景昭.日本獣医史学会.2002;39.
(6) 〝第4回「狂犬病 パスツールがワクチン開発」〟加藤茂孝.モダンメディア.2015.61
(7) Britannica「Vaccine development of Louis Pasteur」
(https://www.britannica.com/biography/Louis-Pasteur/Vaccine-development)
(8) 家畜疾病図鑑Web「家きんコレラ 急性で高い死亡率」
(https://www.naro.affrc.go.jp/org/niah/disease_dictionary/houtei/k23.html)
(9) The College of Physicians of Philadelphia History of Vaccines「Louis Pasteur, ForMemRS The Father of Germ Theory」(https://historyofvaccines.org/history/louis-pasteur-formemrs/timeline)

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