母親の言いなりで居続ける歪んだ親子関係

高校生のとき、彼女は県が主催する論文のコンテストで大賞を獲った。地方新聞でも取りあげられた。彼女は本を読むことが大好きだった。

しかし、母親はそれを快く思わなかった。「名前が知れ渡って恥ずかしいから、出て行け」と言った。彼女は、それに従った。

退学することを知った高校の先生は驚いて必死に止めてくれていたが、「決めたことなので」と言って押し通した。

高校を中退した。そして上京した。それから、年齢を偽って働いた。母親から金の無心があったから、それに応えるためにほとんど休まなかった。

20代の半ばで、はじめて精神科を受診した。ときおり、短時間だけれども記憶がなくなるようになったからだ。最初は眠れていないことが原因だと思った。睡眠薬を処方されたが、眠れるようにならなかった(虐待を受けてきた人は、慢性的な不眠を抱えていることが多い。過大な緊張感が原因だろう)。記憶がなくなることも変わらなかった。

「気づいたら高層マンションの最上階の外階段に立っていて…」知らない間に自傷する人たちに共通する“幼少期のある経験”_3

医師は休職を勧めた。しかし、彼女はなかなか首を縦に振らなかった。休めない事情でもあるのかと聞かれ、素直に母親の件を話した。

「お母さんからの要求を断れないの?」と医師はたずねてきた。

「でも、言っても聞いてくれるような親ではなくて」と彼女は答えた。

「無視すればいいじゃない?」
「そうなんですけど……」
「だって、自分の母親でしょ? それくらい言えるでしょ?」

医師からの当たりまえの提案に、彼女は黙ってしまった。

彼女は、母親の言うことを聞かなかったら、もっとひどいことをされるのではないかと怖かった。しかし医師は、ひどいことをしてくる母親だとはいっても、事情を説明すれば理解を示してくれないはずはないと思っているようだった。

このときに、母親の言いなりになっている歪(いびつ)な母子関係に医師が疑問を感じたら、また違った治療がなされていたかもしれない。しかしその場ではそれ以上、母親のこと、家族のことを聞かれることはなかった。